フリーライターの森岡葉のブログです。 大好きな音楽のこと、日々の出会い、楽しかったこと、美味しかったもののことなどを書いていきたいと思います。



   
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プロフィール

jasminium

Author:jasminium
1956年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1975年~76年北京語言学院・北京大学歴史系に留学。音楽ジャーナリスト。2009年第53回ブゾーニ国際ピアノコンクールにプレス審査員として招かれたほか、ハエン国際ピアノコンクール、シドニー国際ピアノコンクール、中国国際ピアノコンクールなどにジャーナリストとして招かれている。著書:『望郷のマズルカ~激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』(ショパン)、『知っているようで知らないエレクトーンおもしろ雑学事典』(共著)(ヤマハミュージックメディア)、訳書:『ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話』(焦元溥著 アルファベータブックス)、『音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 第2巻』(焦元溥著 アルファベータブックス)

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スティーヴン・ハフ

   
 スティーヴン・ハフのリサイタルが、9月24日ヤマハホールで開催されるというので、ブログを更新します。

http://www.yamahaginza.com/public/seminar/view/1904

 ライヴで聴いてみたいなぁと思っていたピアニストなので、とっても楽しみです。333席のヤマハホールで、彼の演奏を聴くというのは、とっても贅沢~

 私が彼を知ったのは、『ピアニストが語る!』(アルファベータ)のシリーズの原作『遊藝黒白』で焦元溥さんのインタビューを読んでからですが、録音などで聴く限りかなり面白いピアニストです。



 というわけで、焦元溥さんのインタビュー、期間限定でこちらに掲載します。これ、早く本にして出版したいのですが、なかなか難しいので…。既刊本、どうぞよろしくお願いいたします

『遊藝黒白』 スティーヴン・ハフ

スティーヴン・ハフ (Stephen Hough, 1961- )

 1961年、英国ウィラル半島の岬の町、ヘスフォール(Heswall)で生まれ、マンチェスター王立ノーザン音楽大学、ニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。1978年、BBC新人演奏家コンクールの最終選考に残り、1982年、テレンス・ジャッド賞(Terence Judd Award)を獲得、1983年、ノームバーグ国際ピアノコンクールで優勝した後、演奏活動に入り、今日に至る。
 世界中の指揮者・オーケストラと協演するとともに、優れた室内楽演奏家としても活躍している。録音も多く、主要作品ばかりでなく珍しい作品の驚くべき表現でも定評があり、様々なディスク大賞を受賞し、CDの売り上げでも注目されている。現代最高のピアニストとして位置づけられているだけでなく、学術研究・作曲面でも多くの業績がある。彼のトランスクリプション作品、オリジナル作品は高く評価され、2007年、神学と音楽活動を関連づけた著作『祈りとしてのバイブル~聖書への手引き~(The Bible as Prayer)』を上梓。2001年、才能豊かな活動が認められ、マッカーサー基金(MacArthur Fellowship)より表彰されている。


(焦元溥): まず最初に、あなたのことを何と呼んだらいいのでしょう? “Hough”は、どのように発音したらいいのですか?

(ハフ): “ha-f”と発音します。“ough”は“tough(タフ)”と同じ発音です。

(焦): それではハフさん、どのようにピアノを学び始めたのかというところから、お話いただけますか?

(ハフ): 6歳のときにピアノを習い始めました。私は幼い頃から音楽に対して強烈な感覚を持っていて、ピアノに触れた瞬間から絶対に離れられないと感じました。そのときに、私の人生は決まったわけです。両親は音楽家ではありませんでしたが、私を応援してくれました。私がピアノを習い始めてから、父はクラシック音楽を鑑賞するようになったんですよ。彼はたくさんのレコードや書籍を買って、ピアノ演奏とピアノ音楽を探究しました。最終的には、あらゆるピアノ作品に精通しただけでなく、演奏スタイルやそれぞれのピアニストの違いも聴き分けられるようになっていました。私は住居の近くのある教師の下で学び始めましたが、真の意味で私に影響を与えた最初の教師は、ヘザー・スレイド=リプキン(Heather Slade-Lipkin)女史でした。彼女は私の家族と親しく、ちょうどマンチェスター王立ノーザン音楽大学で学んでいて……、その後私が学んだ大学なのですけれど。

(焦): あなたはその後、ゴードン・グリーン(Gordon Green, 1905-1981 )、デリック・ウィンダム(Derrick Wyndham)に師事していますが、彼らの指導についてお話いただけますか?

(ハフ): 彼らはまったく違いました。グリーンは、典型的なイギリスのインテリで、明るくおおらかな個性と生き生きとしたユーモアを持った人物でした。いつもパイプを燻らせて笑いながら語り、心ゆくまでビールを痛飲して……。グリーンの指導は、とても自由でした。彼の政治的な立場もリベラルで、左翼的でした。10歳のときに彼に師事したんですが、私は彼が受け入れた一番小さな生徒でした。私が彼の言うことを理解できないのではないかと心配し、両親のどちらかが必ずレッスンに付き添うことが条件でした。グリーンは、“有機的”な教育をする人でした。つまり、農夫が馬鈴薯を自然に育てるように……、肥料をたくさん与えて苗を無理やり大きくしようとはしませんでした。彼は生徒が自然に成長し、自分自身で音楽が考えられるようになるのを待ちました。今の私がどう弾けるかではなく、10年後の私の演奏と音楽がどうなっているかが大事なんだと、いつも言っていました。年齢を重ねれば重ねるほど、グリーンの指導の素晴らしさを実感しますね。現在多くの教師が生徒たちを教えるとき、スポーツのトレーニングのようにテクニックを鍛え、細部に至るまで完璧に弾くことを求めます。スポーツの試合ならば、そのような指導でいいのかもしれませんが、音楽というものには、点数を付けられません。多くの“完璧な演奏”からは、演奏者の個性や、その人が何を考えて音楽をつくっているかが見えてきません。彼らの音楽は、すべて先生に習ったものだけなのです。常に生徒自身に考えさせる教育をしていないと、自身の音楽的な主張を発展させることのできないピアニストになってしまいます。私は幸運なことに、人格を形成する大切な時期に自由で進歩的なグリーンという教師に出会い、彼の教え方は自然に任せるままだったので、私は自分自身を発見することができました。

(焦): 多くのコンクールが、本当に教師たちのコンクールになっていますよね。私が第12回チャイコフスキーコンクールを聴きに行ったとき、第1次予選で、3人のコンテスタントがまったく同じフレージングと速度でベートーヴェンの『熱情』ソナタを弾きました。調べてみると、彼らは同じ先生の生徒でした。グリーンという人は、自身の名誉にはこだわらなかったのでしょうか? 生徒が頭角を現せば、先生も有名になります。彼は生徒がコンクールで賞を獲ることには関心がなかったのでしょうか?

(ハフ): グリーンは虚名を求めない人でした。彼はただ、生徒が自身の考えや個性を演奏で表現できるかどうかにしか興味がありませんでした。それに、彼はコンクールをとても嫌っていて、私があるコンクールに出たいと言っただけで、怒り狂ったこともあります。賞を獲るために、多くのコンテスタントは、どう弾いたら審査員に気に入られるか、どのようなプログラムが効果的かということばかり考え、自身の音楽、芸術家としてどのように成長すべきかは考えていません。そのせいか、最近のピアニストの音色には個性が感じられず、音楽表現にも主張がありません。それは、彼らの先生のエゴに責任があるように思います。グリーンは私に、コンサートに行ったり、美術館に行ったり、本を読んでいろいろ考え、成熟した音楽家、健全な人間になるよう導いてくれました。コンクールに参加するということは、人格の発展を阻害し、音楽を学ぶことの意味や人生の正しく進むべき方向を誤らせる恐れがあります。私はグリーンのもとで17歳まで学びました。彼の健康状態が悪くなり、とうとう亡くなってしまって……。

(焦): それで、ウィンダムのところに行ったのですね。ドノホーが言っていたのですが、ウィンダムはポーランド人なのに、第2次世界大戦以後イギリスに定住し、名前も変えたのだそうですね?

(ハフ): それは、ひとつの謎なのです。ウィンダムはとても恥ずかしがり屋で内向的で、神秘的なピアニストでした。誰も彼の過去を知りません。彼は第2次世界大戦前にピアニストとして活躍し、17歳でレコードを出し、多くのコンサートを開いていました。第2次世界大戦以後、人間が変わって……、医師にもう演奏できないと言われたようです。強制収容所に入れられたとか、ホロコーストを受けたとか聞きましたが、本当のところはわかりません。彼自身は貝のように口を閉ざしていました。あるとき彼を訪ねて楽しくおしゃべりしていて、彼の過去に何があったのか尋ねてみましたが、やはり何も漏らそうとはしませんでした。私が思うには、戦争中によほど辛いことがあって、そこから立ち直ることができず、すべてを忘れ去りたかったのではないでしょうか。

(焦): あなたはウィンダムから何を学んだのでしょうか?

(ハフ): グリーンは私に大きな自由を与えてくれましたが、技巧的にはあまり厳しくありませんでした。グリーンのもとを離れる頃、私は技巧面での問題を抱えていました。こう弾きたいと思っても、それを実現する道具、スキルが足りなかったのです。ウィンダムは、その部分を補ってくれました。彼は技巧に関して厳格で、ほんの少しもいいかげんに誤摩化して弾くことは許しませんでした。彼は生徒に、鍵盤上での手指の移動についてよく考えるように要求し、それによって自分に最も適した演奏スタイルを探し出せるよう導いてくれました。それは、演奏の際のミスを最小限にし、ひとつひとつの音の完璧な美しさを引き出す指導でした。技巧的に成長すべきときに、ウィンダムに出会ったことに感謝しています。彼は私に、自身の音楽を表現するための最適な技巧を見出させてくれました。

(焦): あなたは19歳のときにジュリアード音楽院に入って、アデル・マーカス(Adel Marcus, 1906-1995)女史に師事したのですよね。

(ハフ): ジュリアードでは多くのすばらしい友人を得ましたが、学ぶ環境としてはあまり好きになれませんでした。マーカスのレッスンにも、限界がありました。彼女は自身の見解に固執し、狭量な教え方しかできなかったのです。私は彼女にロシアの一連のロマンティックな作品を学びたいと考えたのですが、彼女はほかの作品も、同様の“重厚なロマン主義”を応用して教えようし、どの作曲家もすべて同じようになってしまいました。私は彼女の見解や指導に同意できず、現在は彼女の教えをすべて忘れています。マーカスは楽曲の中に黒と白しか見出さず、きわめて明確な解釈をしました。しかし、この世の中に黒と白しかないなんてことはありえません。たくさんの“朦朧とした光と影”があるからこそ、私たちはそれを探求しようとするのです。音楽の表現は、悲しくなければ嬉しいというわけではなく、あらゆる感情が入り混じり、曖昧模糊としているからこそおもしろいのです。作曲家は言葉ではなく音楽で、人間の感情の機微を表現しています。シューベルトの音楽が、まさにそうですね。それこそが、音楽のもっとも繊細な芸術的価値だと思うのです。“言葉がなくなったところから音楽が始まる”というのは、人間の微妙な情感を表現するには言語だけでは無理で、だからこそ芸術家たちが音楽でそれを語ろうとするのです。

(焦): あなたは19歳でジュリアードに入り、21歳のときにニューヨーク・ノームバーグ国際ピアノコンクールで優勝して演奏家としての人生をスタートしましたが、そのようなご自身の経歴をふりかえって、今どのようにお考えですか?

(ハフ): 現在、多くの音楽学校は学生が一生懸命練習して、コンクールに参加し、賞を獲って有名になることを期待していますよね。はっきり言わせてもらえば、それは大きな間違いです。学生が学校に入るのは、教育を受けるためで、コンクールに参加するためではありません。よい音楽教育を受けずに、コンクールで賞を獲って、何の意味があるのでしょう? 演奏家生活をどうやって長く続けていけるのでしょう? 多くの天才作家が、17、8歳で世間を驚かすような小説を書いた後、どうなったでしょう? 出版社は大喜びで、その後の10作の出版契約を交わしたものの、その作家にそれ以上何が書けるのか? ということなのです。その後の小説で、何が表現できるのでしょう? 彼が何を考え、それをどのように表現したいかということが、もっとも大切なのです。一過性のスターが出現しても、後には何も残りません。コンクールも、往々にしてそうですね。残念なことに、多くの人がそれに気づいていません。それとも、彼らはただ花が咲くのを見たいだけなのでしょうか。

(焦): 私もまったく同感です。あれほど多くの人たちがコンクールに汲々としているのに、賞を獲ったからと言って何の成功の保証にもならないのです。コンクールの賞金や演奏会が多いという意味では最高のヴァン・クライバーン国際コンクールの歴代の勝者も、それほど活躍していないのは、本当に残念なことです。

(ハフ): 多くの著名なピアニストが、必ずしもコンクールで名を成してはいないですよね。もちろん、彼らの中には運に恵まれた人もいますが、長くピアニストとして生きていくには、一生をかけて真に音楽と芸術を追求していく覚悟がなければなりません。コンクールは一瞬の栄光と名声を与えますが、そこに至るまでの勉強ができていなければ、その後はなくなります。私が21歳のときにニューヨーク・ノームバーグ国際ピアノコンクールで優勝したときも、まったく思いがけなかったので、慌ててしまいました。当時私は博士課程で学んでいて、25歳くらいからコンクールに参加して、28歳で演奏活動を始められればいいなと思っていたのに、突然、もう学生ではない、すぐにシカゴ交響楽団やフィラデルフィア交響楽団と協演するということになってしまったのですから。幸いなことに、私は何とか演奏して、その後も毎シーズン招いていただいて、その度に新しい曲目を演奏することができました。でも、多くの人はそうではないのです。コンクールで名声を得て、“一回の”すばらしいリサイタルを開いて、その後が続くかどうか……。それ以上のレパートリーがどれだけあるか? 演奏会のオファーにどれだけ応えられるか? 新しい曲目を勉強する時間があるか? そういう根本的な問題をクリアし、しっかり準備ができていなければ、賞を獲ることはかえってマイナスなのです。若いピアニストは、コンクールに参加するとき、自身に“賞を獲って名声を得る準備はできているか?”と問うべきです。

(焦): あなたが受けた教育や経験から考えて、ご自身を“英国ピアノ楽派”に属すると思われますか?

(ハフ): 私の経歴から考えて、私は英国ピアノ楽派の中から生まれたピアニストとは言えないでしょう。ウィンダムはシュナーベルとローゼンタール(Moriz Rosenthal, 1862-1946) に師事しましたが、シュナーベルはレシェティツキの弟子、ローゼンタールはリストの弟子ですから、ツェルニー以降のヨーロッパの楽派の流れを汲んでいます。グリーンはペトリ(Egon Petri, 1881-1962) に師事しましたが、ペトリはブゾーニの弟子ですから、やはりヨーロッパの伝統に属します。私は真の意味での“英国ピアノ楽派”というものが存在するとは思いませんが、もし存在するとしたら、イギリスのピアニストはそれぞれの作曲家の作品を自由に解釈するところに特色があると言っていいでしょう。

(焦): ロンドンは長い間、舞台芸術の中心都市でした。ショパンも多くのすばらしいコンサートをロンドンで開いていますし、イギリス製のピアノは19世紀にきわめて重要な役割を果たしました。あれほど豊かな舞台芸術とピアノ製造の歴史があるにもかかわらず、何故イギリスには特徴のあるピアノ演奏楽派が育たなかったのでしょうか?

(ハフ): たしかにイギリスはすばらしいピアノを生産し、舞台芸術の中心でしたが、それはただ国力と富の結果に過ぎず、音楽そのものとはあまり関係がありません。19世紀のイギリスは、産業革命以降の工業の発展を維持し、それがピアノ製造の分野にも及びました。今日の自動車製造業と同じです。大英帝国の財力が芸術家たちを呼び寄せ、演奏会が開かれていたのです。それは、国力と富の表れに過ぎず、演奏楽派を形成する素地にはなりませんでした。

(焦): だから、20世紀になるまでイギリスから傑出した作曲家が出なかったのですね。

(ハフ): 楽派というものが形成される鍵は、作曲家にあると思います。フレンチピアニズム(フランスピアノ楽派)、ロシアンピアニズム(ロシアピアノ楽派)は、作曲家とピアニストの相互関係によって形成されました。言うまでもなく、多くの傑出した作曲家自身が、偉大なピアニストでもありました。イギリスには、その点が欠けています。20世紀に入るまで、イギリスにはそれほど大した作曲家は現れていません。パーセル(Henry Purcell, 1659-1695) の後、やっとエルガー(Edward Elgar, 1857-1934)が出ましたが、それでは“楽派”など生まれませんよね。 ひとつ注目してほしいのは、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan-Williams, 1872-1958)、エルガーなど、20世紀までのイギリスの作曲家の多くが教会出身だということです。彼らはパイプオルガンに精通していましたから、パイプオルガンの響きや音色をピアノ音楽の中に反映しました。それから、アメリカが台頭するまで、イギリスは移民の重要な受け入れ先でした。移民が多かったのは、植民地の影響ですが、その結果、イギリスに多種多様の文化がもたらされ、開放的でコスモポリタンな芸術的環境が生まれました。そのため、イギリスに固有の演奏楽派が形成されなかったのかもしれません。イギリスのピアニストに相通じたスタイルや特徴がないわけではありませんが、それぞれの違いは、やはり大きいですね。これは、ブゾーニ、ミケランジェリ、ポリーニの違いに似ているかもしれません。彼らに共通するのは、ある種の冷静で高度に研ぎ澄まされたテクニックと演奏スタイルですが、彼らが同じ楽派に属しているとは言えませんよね。

(焦): 20世紀に入って、イギリスも頭角を現し始めました。20世紀前半には、すばらしいピアニストを輩出しています。これについて、どのようにお考えですか?

(ハフ): あなたが言っているのは、トバイアス・マティ(Tobias Matthay, 1858-1945) から始まった一連の現象についてのことですね。彼は、たしかに英国ピアノ楽派の創始者と言っていいでしょう。1900年に彼はピアノの学校を創設し、彼の教育法を広め、クリフォード・カーゾン、モーラ・リンパニー、マイラ・ヘス、アイリーン・ジョイスなどのピアニストを育てました。私が興味深く思うのは、マティはユダヤ人で、カーゾンやヘスもユダヤ人、神童ソロモンもユダヤ人だということです。彼らのユダヤ人出身という背景には、生まれた地域を超越した宇宙観があり、ユダヤ文化の中にイギリスが失った伝統や深遠な音楽を表現しているように思えるのです。たとえば、マイラ・ヘスの演奏は、とてもドイツ的です。もちろん、楽派という観点からだけで、ピアニストの演奏スタイルを説明することはできませんが、リヒテルの演奏も、ロシアピアノ楽派に属するとは言えませんよね。

(焦): リンパニーはつい最近亡くなりましたが(2005年3月28日)、彼女にはどのような印象をお持ちですか?

(ハフ): 彼女はすばらしいピアニストで、穏やかで優しい人でした。残念なことに、直接会ったことはありませんが……。モンテカルロで演奏会を開いたとき、ちょうど彼女がそこにいることを知り、会う約束をしたのです。でも、リハーサルの後、私は体調が悪くなって、彼女に電話をして約束をキャンセルしました。そのときの彼女の答えは、とてもおもしろかったんですよ。私がメンデルスゾーンの『ピアノ協奏曲第1番』を弾くと言うと、「私も弾いたことがあるけれど、あの曲の副作用は頭痛だから、よく休んだほうがいいわ! 」って答えたんです。それから、私があるインタビューで彼女を称賛したことに対し、心から感謝していると言ってくれました。本当に、謙虚で温かな人柄の名演奏家でした。

(焦): ハハハ! リンパニーが12歳でデビューしたときの作品が、メンデルスゾーン『ピアノ協奏曲第1番』でしたね。そのときの恐怖を思い出したのでしょう! 先ほど、ピアノ製造についての話が出ましたが、あなたはピアノという楽器について研究していらっしゃるようですが、現代のピアノにはどのようなご意見をお持ちでしょうか?

(ハフ): はっきり言って、もの凄く失望しています。現代のピアノの製造技術は精巧で、音色も清潔で美しいですが、個性に欠けています。まるでコンピューターのようで、芸術品ではありません。昔のよい楽器には、それぞれ独特の個性があり、ピアニストに自分だけのフレージングを表現させようと刺激していました。昔のベヒシュタインやスタインウェイを懐かしく思います。現在のピアノのアクションは重く、音色は直接的過ぎて、ピアニストが鍵盤の上でイマジネーションの世界を繰り広げることはできなくなっています。

(焦): あなたは、どんなピアノを弾いているのですか?

(ハフ): 今の時代では、やはりスタインウェイでしょう。平均的に言って、アメリカのスタインウェイは、ドイツのスタィンウェイとは比べ物になりませんね。でも、アメリカのスタインウェイの中にも僅かにずば抜けたピアノがあって、私はその中で一番いいものを使っています。ニューヨークとロンドンに、1台ずつスタインウェイを持っていますが、ロンドンではそのほかにファツィオリ(Fazioli) を買い、ニューヨークではボストンのチッカリング(Chickering) も買いました。このチッカリングは、昔日の輝かしい時代のピアノの音色を持っていて、世界で一番すばらしい楽器だと思っています。幸いなことに、私の調律技術者がこのピアノを最高の状態に調整してくれました。私は、このピアノをeBayで落札したんですよ!

(焦): 洗練された完璧な技巧だけでなく、あなたの演奏が人々を敬服させるのは、それぞれの作曲家の作品をおおらかに、そして深く解釈しているところです。あなたのラフマニノフを聴いていると、あなたをロシア音楽の権威だと感じ、シューベルトやブラームスを聴いていると、ドイツ・オーストリア音楽の専門家だと感じ、フランス音楽を聴いていると、あなたこそがフランス音楽のマエストロだと思えるのです。そして、イギリスの作曲家の演奏に関しては、あなたの右に出る者はいません。あなたがどのように現代作品にアプローチしているのか、とても興味があります。とくに、あなたは珍しい作品の演奏で有名です。

(ハフ): 私はそれぞれの作曲家にはそれぞれの解釈と演奏が必要だと考えていますが、もっとも大切なことは彼らの作品を詳細に研究することです。演奏家は、作曲家が指し示す方向に従って彼らの個性や考え方を読み取らなければなりません。ひとつの作品だけではわからず、10曲弾き、さらに100曲弾いて、やっとその作曲家のイメージがつかめるのではないでしょうか。たとえば、ベートーヴェンが楽譜上で指示したものは、リストとはまったく違います。ベートーヴェン作品の感情表現や強弱の指示はきわめて重要で、絶対に厳粛に尊重して演奏しなければいけません。彼の創作は、緻密な構想によって構築されていて、演奏家は勝手に彼の指示を変えることはできません。彼は全身全霊を尽くして、細部の表現に至るまで指示しなければ全体の構造の秩序を失うと考えていたのですから。リストの指示はベートーヴェンとは違います。彼の多くの作品は、即興的な演奏の中から生まれています。『ピアノ・ソナタ ロ短調』も、生き生きとした即興演奏から生まれたものでしょう。彼も明確に指示しているのですが、ベートーヴェンほど厳格ではなく、演奏家に自由に解釈する余地を与えています。私たちは、楽譜から作曲家が言いたかったことやその精神を汲み取るしかないのです。たとえばショパンですが、彼の旋律のスタイルには、一生を通じて大きな変化はありませんが、作曲のスタイルは年齢を経るにしたがって体位法的になっています。『ノクターン』は、作品9以降、旋律が主ですが、晩年になるにしたがって、内声の構成が巧妙になり、ショパンが自由自在に対位法を操っていることがわかります。このような作曲技法の発展は、ショパンがバッハやモーツァルトを終生熱愛していたことを物語っています。ショパンの作品がどのように発展したかを理解できれば、彼の音楽の文法を掌握することができ、彼の“古典的なスタイル”をどのように表現したらよいかがわかります。ホフマン(Josef Hofmann, 1876-1957) が演奏するショパンは、柔軟に速度を変化させながら、特定の内声を強調し、まさにショパンの作曲技法の妙を表現しています。彼が強調する内声は、勝手気ままにやっているのではなく、対位法の原則に基づいて、ショパンの作曲技法を考えてやっているのです。

(焦): さまざまな作曲家の作品の演奏解釈についてもお話いただけますか?

(ハフ): ちょうど最近、ある作品の譜読みをし終わったところなんです。私の譜読みの仕方は、楽譜に直接アプローチして、譜読みをしている間は、ほかのピアニストの演奏を聴かないようにしています。誰からも影響されずに、自分自身の視点や解釈を生み出したいと考えているからです。私は長い時間をかけて作品に取り組むのが好きで、コンサートで演奏する1年前くらいからプログラムの作品を探求し始めます。初めて弾く作品については、何段階かに分けて勉強します。第1段階は、まず楽譜を詳細に読んで、指使いを考え、解釈の構想を練って、思考と演奏のバランスに専念します。違う色の鉛筆で、解釈の構想、注意すべき内声、練習方法に至るまで細かく楽譜に書き込み、とにかく一生懸命に練習します。このような準備の方法は、私にとってはとても有効です。その作品について、透徹した理解ができるようになり、自由自在に演奏できるようになって、長年経った後にも楽に弾くことができます。そのような緻密な勉強の後で、第2段階は、作品から離れて、作品への新鮮な気持ちを保つようにします。これは、とても大切なことです。練習も、その曲の最初から最後までを徹底的にさらうのではなく、楽章や部分に分けて練習するようにしています。多くのピアニストの演奏を聴いてよく思うのですが、ソナタ形式などの作品で、提示部の演奏の方が再現部よりいいことが多いのです。何故なら、彼らはいつも曲の最初から練習し、提示部に多くの時間をかけているからです。再現部になると、すでにパッションや情感は失われていて、音楽の素材は同じですから、演奏の質は落ちてしまうのです。作品に対する新鮮な感覚を失わないためには、もうひとつ、いつも違う角度から音楽を考え、演奏と音楽に対する好奇心を持ち続けて、さまざまな問題を解決していかなければいけません。

(焦): あなたはいつも斬新な解釈で作品を演奏し、人々を啓発しています。それは、準備段階で考えた方向性なのでしょうか?

(ハフ): いいえ。それを故意にやっているとしたら、ただ新奇なことをしようとしているに過ぎず、演奏も不自然になってしまうでしょう。私の作品に対する態度は、一番最初に出会ったときの気持ちを忘れず、楽譜に直接アプローチするということに尽きます。現在、多くの学生が作品に取り組むとき、楽譜から何かを読み取って学ぶのではなく、誰かの録音を聴いて学んでいるでしょう? それは間違ったやり方だと思うんです。自分自身の音を聴いて、自然に“新しい”表現を生み出すべきなのです。人間は、それぞれ違うのですから。もしも私が、私の解釈とほかのピアニストの解釈が似ていると感じても、私は自分の解釈を変えません。何故なら、私は誰かの演奏を真似たことはなく、いつも誠実に自身の解釈を表現しているからです。

(焦): それでは、あなたは録音から何を得ているのでしょうか?

(ハフ): 私は1920年代から1930年代のピアニストの演奏を聴くのが好きです。でも、彼らを模範にするわけではなく、あの時代の演奏スタイルに惹かれるのです。私が好きなピアニストは、ラフマニノフ、フリードマン、コルトーなどで、それぞれまったく違いますが、彼らの演奏のフレージング、柔軟なルバートなどに何か共通したものを感じ、彼らの音楽の語法を追求したいと思っています。ラフマニノフの演奏には両極端なところがあり、楽曲を単刀直入に解釈するのではなく、きわめて自由でロマンティックに歌いながら、知性とのバランスがとれていて、私はそれに啓発されています。ラフマニノフの解釈は、ルバートを柔軟に使っても、音楽をすっきりと美しく聴かせることができるのです。それこそが、ラフマニノフのスタイルです! 私が言いたいのは、ラフマニノフの真似をしようというのではなく、彼の演奏スタイルから学ぶべきことがたくさんあるということです。

(焦): あなたのラフマニノフの『ピアノ協奏曲全集』は実にすばらしく、とくに『ピアノ協奏曲第3番』は、作曲家の精神に深く迫る名演だと思います。速度も、ホロヴィッツの全盛期を上回っていますよね!

(ハフ): ラフマニノフは、速く弾くのを好んだと思うので、その点を私の演奏で表現したいと思いました。彼の速さは、ただ機械的な速さではなく、ある明確な方向性を持っていて、音楽を常に前に向かって推し進めていく力だったのです。私はそういうスタイルが大好きで、自然にそういう演奏になってしまうんです。

(焦): それでは、あなたの考え方に合わない演奏については、どのように見ていらっしゃいますか?

(ハフ): 偉大な芸術家にはそれぞれ独自の見解があり、それに基づいて演奏しているわけです。私は自身の見解と解釈に自信を持っていますが、私の考えとはまったく違う演奏をする人もいます。私が好きになれない解釈もありますが、やはりそれもすばらしい演奏だと認めざるを得ません。リヒテルがよい例です。彼の演奏は私の解釈とはまったく違いますが、私は彼の演奏が大好きです!

(焦): 演奏の伝統や楽派について、どのようにお考えですか?

(ハフ): 私は楽譜や作曲家をとても尊重しています。楽譜上に指示されたことから離れて、自分の考えを表現しようと思ったことはありません。もしも私が、楽譜上に書かれた要求と違う演奏をしたら、それは慎重に考え抜いた結果だと思ってください。私は、伝統というものは必要だと思いますが、大切なのはバランスで、演奏家はやはり楽譜をもっとも大切にしなければいけません。私自身、少し作曲もするので、どのように楽譜を書いても、自身の真の意図を伝えるのは難しいと痛感しています。心血を注いで書き込んだことも、演奏者に一顧だにされないこともあるのです。例を挙げると、ラヴェルの解釈は、現在では多くがロマンティック過ぎる傾向にありますが、ラヴェル自身は、ルバートを嫌っていました。『夜のギャスパール』の中の『オンディーヌ』は、もちろんとてもロマンティックで優美な作品ですが、多くの人があまりにも“ロマンティックに”演奏します。ラヴェルの指示に忠実に従うのなら、最小限のルバートで、あの曲の和声や旋律の美しさを表現し、冷静にさまざまな感情の交錯を表現しなければいけません。そのような演奏こそ、聴衆の心を動かし、感傷的になり過ぎず、安っぽい感情表現を避けることができるのです。

(焦): 伝統と楽譜の間に矛盾が生じた場合は、どのように取捨選択するのですか?

(ハフ): 場合によりますね。伝統というのは、停滞して前に進まないという意味ではなく、時代とともに常に発展すべきものです。だからこそ、作曲家はしばしば自身の作品に大幅な改訂を加えたりするのです。ストラヴィンスキーが、晩年になって『火の鳥(Firebird)』や『ペトルーシュカ(Petrouchka)』を再出版したのがよい例です。私も固定観念にとらわれず、常に自身の演奏に満足せず反省する能力を持ち続けたいと思っています。伝統が私を説得できないときは、私はためらわずにそれを捨てるでしょう。ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第3番』の第3楽章の終わりには、作曲家自身が書いた“Vivacissimo”という指示があり、それを見れば誰もがより速く弾かなければならないことはわかりきっています。作曲家自身も速く弾いていますし、作曲家がホロヴィッツの速い演奏を好んだことでもわかります。それなのに、最近、どういうわけか遅く弾くようになっています。私は絶対に速く弾くようにしていますが、そのために指揮者やオーケストラと上手くいかないことがよくあります。彼らが、私が弾く速度に慣れていないためです。楽譜にちゃんと書いてあるのに! リストの『ピアノソナタロ短調』の171小節目もそうです。多くの人が、アッチェルランド(だんだん速く)気味に弾きますが、そんな指示はどこにも書いてないばかりか、ア・テンポ(もとの速さで)と書いてあるのです。どうして皆がそのように弾くのか、まったくわかりません。私自身も、以前この曲を練習しているときに、リストの指示に納得できず、一般的な演奏に従って弾いていたのですが、その後、深く楽譜を読んで考えた末に、リストの指示に道理があることに気づきました。探求の過程で、もがき苦しむこともありますが、音楽の道理の前では、絶対に自分の考えを曲げたり、人の言うことを受け売りしたりしてはいけないのです。

(焦): あなたの録音は、あなたの多彩な才能を物語っています。その質と量には、敬服せざるをえません。録音の計画は、いつもどのように立てているのですか?

(ハフ): 私の録音は、その作品で自分自身が何か強く主張したいことがあるかどうかで決まります。ショパンの『バラード』とフランクのピアノ作品集などもそうですね。近いうちにスペイン音楽に取り組む予定です。スペインの作曲家の作品だけでなく、スペイン以外の作曲家の作品も取り上げます。たとえばラヴェルやドビュッシーも、スペインを題材にした作品を書いていますよね。それらを研究して、録音したいと考えています。シューマンやシューベルトのピアノ作品、モーツァルトのピアノ協奏曲も、もっと録音したいですね。ショパンの『ワルツ』とチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲』も、私の録音計画に入っています。

(焦): ご自身の作品はいかがですか? あなたは、とても素敵なピアノ作品の数々を出版しています。『Suite Osmanthas (金木犀組曲)』、『Valse Enigmatique (謎のワルツ)』、『etude de Concert (演奏会用練習曲)』などの傑作がありますよね。

(ハフ): この数年、かなり多くの作品を書いています。どちらかと言えば、ピアノ以外の作品を書くほうが好きです。ピアノの語法をあまりにもよく知っているので、作品が自分の考えに近くなり過ぎて、かえって難しいんです。最近、『ファゴット協奏曲』と『児童合唱団のための3つの小品』を書きましたが、気に入っていただけるとうれしいです。2007年3月には、友人のスティーヴン・イッサーリス(Steven Isserlis, 1958- )のために書いた『チェロ協奏曲』の初演の指揮をします。大規模なミサ曲も、もうすぐ書き上げます。演奏家は、自分で作曲をしてみるといいと思います。必ずしも作曲家になるとか、それを人前で演奏するというのではなく、作曲を経験してみることで、どうやったら自分の想いを音楽で表現できるかを考え、作曲家の思考のパターンを理解できるようになりますから。

(焦): 編曲作品(トランスクリプション)についても、あなたは20世紀後半のもっとも傑出した演奏家のひとりです。いつ頃から始めたのですか?

(ハフ): 私が幼い頃、両親が1枚の編曲作品のレコードを与えてくれたんです。それで、小さい頃から編曲作品に興味を持っていて、アンコール曲として効果的に使う知識もありました。私が自分で編曲した最初の作品は、ロジャー・クィルター(Roger Quilter, 1877-1953) の『The Crimson Petal (深紅の花びら)』で、私を後援してくれている優しい女性に捧げました。その後、私は『The King and I (王様と私)』の制作に加わり、『March of the Siamese Children (シャムの子どもたちの行進)』が大好きになって、ピアノ曲に編曲しました。このトランスクリプションが、多くの人に愛されたので、続けて『My Favorite Things (私のお気に入り)』の編曲も手がけました。そうやって毎年続けているうちに、いつの間にかこんなにたくさんのトランスクリプションを書いていたんです。台湾の民謡『望春風 (Pining for the Spring )』もありますよ!

(焦): どういう曲をトランスクリプションの題材にしようと思うのですか?

(ハフ): 簡単には言えませんね。私が編曲するのは、そのときに純粋に興味を持った作品で、こういう一連の作品を編曲しようと思っているわけではないのです。最近編曲したのは、レオ・ドリーブ(Leo Delibes, 1836-1891 ) のバレエ音楽『Sylvia (シルヴィア)』の中の『Pizzicati』で、これはただおもしろいと思って編曲し、聴衆もいつも笑って楽しんでくれるので、うれしく思っています。

(焦): それでは、どのような題材が編曲に向いていると思われますか?

(ハフ): 基本的にもっとも重要な要素は、和声が簡単だということです。和声が簡単であればあるほど、編曲者に自由が与えられます。とくに和声を変化させることができるので、おもしろいですね。リストの『フィガロの結婚の主題による幻想曲 (Fantasie uber zwei Motive aus Mozart’s Lemozze di Figaro)』が、そのよい例です。モーツァルトの『フィガロの結婚 (Le Nozze di Figaro)』の中の美しい旋律は数えきれないのですが、リストは敢えて和声がもっとも単純な『もう飛ぶまいぞ、この蝶々 (Non Piu Andrai)』と『恋とはどんなものかしら (Voi Che Sapete)』を取り上げて、複雑で華やかなトランスクリプションに仕上げています。ゴドフスキーが編曲したアルベニスの『タンゴ』も、そうですね。原曲の和声はあまり複雑でないにもかかわらず、ゴドフスキーの編曲は、鮮烈な技巧で象眼細工のような美しい内声を散りばめ、和声を精妙に変化させて、原曲に内在する魅力を豊かに引き出し、オリジナリティあふれる音楽をつくり出しています。

(焦): あなたの編曲は、きわめて多くの声部の旋律を生かしていると思います。簡単な素材を使って……、たとえばロジャー・クィルターの『The Fuchsia Tree (フクシャの木)』、あなたは巧妙に主旋律をこだまのようにカノンで重ねています。『私のお気に入り』も、多声部の旋律の絡み合いがすばらしく、ゴドフスキーの技法に通じるものを感じます。

(ハフ): ゴドフスキーの編曲は、本当に凄いと思います。多くの旋律を重ねて、華やかさの頂点を極めています。しかし、私は編曲作品をそれほど繁雑なものにはしたくないのです。ゴドフスキーは勤勉ですばらしい技巧を持った巨匠でしたが……、家の居間がすでに美しい調度で飾られ、調和がとれているのに、さらに柱の1本1本をねじって絢爛豪華な絵を描くようなところがありました。超絶技巧を駆使したすばらしい編曲であるにもかかわらず、それがかえって聴く人の目をくらませてしまっているような。

(焦): リストやブゾーニはどうですか?

(ハフ): 彼らは、もちろん偉大な編曲家です。ブゾーニは音色や響きに対して独創的な見解を持っていましたし、リストはもっとも偉大なトランスクリプションの作曲家だと言っていいと思います。彼らはピアノという楽器の能力を完全に掌握したすばらしい作曲家で、ピアノ演奏の可能性を最大限に引き出す精巧な編曲作品を生み出しました。

(焦): ブゾーニはリストが編曲した作品に手を加えたり、違う編曲をしたりしていますよね。『パガニーニ大練習曲 (Grand Paganini etude)』や『フィガロの結婚の主題による変奏曲』のように。これらの作品は、聴くのも難しいですが、楽譜を見るとさらに難しく……、それなのに、何故多くのピアニストが、ブゾーニが整理した校訂譜は原曲より簡単だと言うのでしょう?

(ハフ): そこが、ブゾーニの凄いところなんですよ。ブゾーニは独創的な和声を駆使して新鮮な響きの効果を生み出すために、技巧も工夫しました。それで、聴いたときに華やかで、ピアニストにとっても自然で弾きやすい楽譜を書いたのです。作曲家の編曲技術は、経験と演奏効果の理解を深めることで磨かれていきます。『フィガロの結婚の主題による変奏曲』を例にとると、リストの原譜が最近公開されて議論を呼んでいます。結尾の部分が未完成で、そのほかの部分もかなり変わった技巧を誇示しています。両手による3度進行など、わけがわかりません。音楽の構造も狂っているとしか言いようがなく、『ドン・ジョバンニ』の旋律が突然はるか遠くの空から降って来たり……。どう弾いたらいいかわからないほど難しいですが、どんなにすばらしく演奏できたとしても、あまり聴き映えはしないでしょう。それで、リストも最後まで編曲しなかったのかもしれませんね。

(焦): ホロヴィッツの編曲は、どうでしょう? 最近、彼のトランスクリプションを弾くのが流行っていますが。

(ハフ): ホロヴィッツは、私がもっとも尊敬するピアニストのひとりです。彼のトランスクリプションも大好きなんですが、私には弾くことができません。彼のトランスクリプションは、彼自身の演奏がそれをもっともすばらしく表現しているからです。それらの作品には、ホロヴィッツの魂が宿っていると感じられ、彼にしか演奏できないと思うんです。私たちは皆、自分自身で編曲すべきで、そうでなければ、それほど“個人化”されていないトランスクリプションを弾くべきです。何故だかわからないのですが、ホロヴィッツとジャズ・ピアニストのアート・テイタム(Artar Tatum, 1909-1956) の編曲に、同じような特別な感覚を持っています。

(焦): 誰もが、それぞれの時間の使い方をしていると思うのですが、あなたはどのようにご自身の時間を管理しているのでしょうか? 作曲、編曲、ピアノの練習、執筆、楽譜の校訂、さらに世界各地での演奏……、学識も深く広く、さまざまな書物を読み、緻密に研究した膨大なレパートリーを持っています。どうしたら、そんなことが可能なのでしょう?

(ハフ): 旅先のホテルで曲を書くこともあります。コンピューターを持ち歩くようになって、作曲をするのが楽になりましたね。読書は、旅行中の心の糧です。時間というものは、うまく使わなければいけません。コルトーのことを思い出してください。彼も、私の尊敬する巨匠のひとりですが、指揮、ピアノ演奏、編曲、著述、講義など、実にさまざまな活動をして、とうとう自分の学校まで作ったんですよ!

(焦): 世界各地を演奏旅行するのは疲れませんか? 創作意欲を保つのは大変ではないでしょうか?

(ハフ): 演奏家があまりにも厳しいスケジュールで演奏旅行に奔走するのはよくないと思います。でも、私たちの世代の音楽家は、昔の音楽家に比べてはるかによい条件が与えられていると思いますよ。リストは、会場にコンサート用のグランドピアノがなかったため、小さなアップライトピアノで演奏会をしたことがあるそうです。ベルリオーズ(Hector Berlioz, 1803-1869) のロシアへの演奏旅行は、まったく災難としか言いようがなかったようです。馬車に3週間も揺られ、窓からは雪や風が吹き込み、何度も車輪が道の窪みに落ちて動けなくなったり……、艱難辛苦の末に辿り着いたにもかかわらず、ベルリオーズは生き生きと指揮をして、旅の疲れなど少しも感じさせなかったそうです。先輩音楽家たちの苦労を考えれば、私など大したことありません。演奏家の中には、つまらない理由で演奏会をキャンセルする人がいますが、チェルカスキー(Shura Cherkassky, 1909-1995 )は、一生のうちにただ一度だけ、肘を傷めたときにキャンセルしただけでした。彼は演奏することを心から愛し、生涯現役を貫き、誰が何と言おうと聴衆との約束を果たしました。

(焦): ピアニストが自身に要求することは、その人によって違いますが、オーケストラはそうはいきません。現在、多くのオーケストラには労働組合があり、権利や利益を要求していますが、わずかなお金の違いにこだわっているに過ぎません。

(ハフ): 奇妙な労働組合の規定があるオーケストラも多いですね。たとえば、録音のときは、40分演奏したら20分休憩をとらなければならないというような……。それによって、録音の過程が途切れ途切れになってしまうんです。団員は時計ばかり見ていて、1秒でも長く演奏すると抗議するのではないかと思うほどです。これには本当に腹が立ちますね。ある演奏会でコンチェルトを演奏したとき、指揮者が繰り返し「アンコールを弾いてはいけない」と言うのです。どうしてかと思ったら、その日のプログラムはとても長く、もしアンコールを演奏すると、団員たちに時間外手当を3000ドルも払わなくてはならないからでした。あるオーケストラの労働組合の規定など、まるで王様のような待遇を要求しています。演奏旅行のときはどういうクラスのホテルに泊まらなければならないとか、甚だしい場合は、どういうお酒を用意しなければならないということまで……。そんな贅沢な規定では、莫大な費用がかかってしまうので、結局、巡回公演はできないということになるのです。巡回公演ができなければ、楽団の財源に問題が生じ、破産という結末になり、団員たちは自活しなければならなくなります。音楽家にも福利が保障されるべきですが、何が“福利”なのか、音楽は自身ではっきりさせなければいけませんね。

(焦): 最後に、あなたの音楽観と人生観をうかがいたいと思います。

(ハフ): 難しい質問ですね。私にも明確な答えは見つかっていないのです。ひとりの音楽家、ピアニストとしてやるべきことは、ステージで演奏することです。輝かしい技巧を誇示するためではなく、音楽を聴衆と分かち合うために……。私は聴衆と意志を疎通できるという自信があるからこそ、演奏するのです。何故、聴衆と意志を疎通しなければならないのでしょう? 何故私たちは、美、芸術、魂の交流を必要としているのでしょう? 何故私たちは、自分の心の中を他人と分かち合いたいと思うのでしょう? それを追求すればするほど、金儲けとは激しく矛盾しますよね。誰もが感動を共有することのすばらしさ、芸術や人生の価値を探求することの意味を知れば、世界はもっと美しく平和になるに違いありません。

(2004年/ニューヨークに於いて・2005年/ロンドンに於いて)

【自薦の録音】
1. Rachmaninoff : Complete Piano Concerti with Litton / Dallas Symphony Orchestra (Hyperion CDA 67501/2)
2. Hummel : Piano Concerti with Thomson / English Chamber Orchestra (Chandos CHAN 8507)
3. Frank : Piano Music (Hyperion CDA 66918)





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ゲルハルト・オピッツ

   
 上海の友人、李厳歓(Li Yanhuan)から興味深いメールが来ました。李厳歓はレコード会社に勤務しながら音楽評論家として活躍している俊才。初めて会ったのはちょうど10年前。上海のCDショップで私がCDやDVDを物色していると、「この演奏、いいんだよね」と声をかけてきて、演奏家についていろいろおしゃべりしてすっかり仲良くなりました。拙訳本『ピアニストが語る!』『音符ではなく、音楽を!』(アルファベータブックス) の原著『遊藝黒白』(焦元溥 Chiao Yuan-Pu 著)の存在を私に教えてくれたのも彼です。というか、彼が私に「この本、すごくおもしろいから読んでみて」とプレゼントしてくれたのに、私はそれを本棚に2年ほど放置していたというわけで……

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5年くらい前に彼と上海でご飯を食べたときの写真。彼が息子と同い年だと、ずいぶん後になってから知りました(汗)。知り合った頃、彼はまだ学生だったのです。

さて、彼からのメールです。




 最近の上海はコンサートが多く、5月末から6月初めにかけてほとんど毎晩コンサートに出かけていました。どのコンサートもきわめてレベルが高く、楽しみました。ユジャ・ワン(Yujia Wang 王羽佳)のリサイタルのプログラムは、ショパンとスクリャービン。彼女の前回のリサイタルは5年前だったので、今回久しぶりに聴いて大きな成長を感じました。とくに彼女の音楽に内在する「無限の広がり」のようなものを強く感じ、彼女の視野が豊かに広がっているのだなと思いました。このまま彼女が前に向かって進んでいけば、さらに大きな成功を遂げることでしょう。すでに多くの中国系ピアニストが活躍していますが、彼女にとってそれは難しいことではないと思います。
 それらのコンサートの中で、ドイツのピアニスト、ゲルハルト・オピッツの正統派のベートーヴェン《ピアノ・ソナタ》全曲演奏会を聴いたことは、私にとって大きな収穫でした。今回彼は上海で32曲のソナタを7回にわたって演奏しましたが、これは中国の聴衆にとって得難いチャンスだったと思います。私は7回のうちの何回かを聴こうと思っていたのですが、1回聴いて彼の誠実な演奏に惹かれ、なんとかスケジュールの都合をつけて5回、23曲を聴くことができました。彼の演奏は飾り気がなくシンプルですが、私たちはその中からベートーヴェンの本質を聴き取ることができます。今回の演奏会を聴くことができて本当に幸運でした。今、聴き取ったものを少しずつ消化しているところです。オピッツの演奏会についてちょっとした文章を書いたので、添付します。この文章は、素晴らしい演奏の感動に浸りながら自分でも思いがけずあっという間に書き上げました。読んでいただければ幸いです。ご意見を聞かせてください。




 ゲルハルト・オピッツについては、『ピアニストが語る!』で焦元溥さんのインタビューを翻訳して、あらためて興味を持っています。日本では、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会は何回か開催されたと記憶しています。



 『ピアニストが語る!』(アルファベータブックス)から、オピッツの発言を少しご紹介します。

Q: ベートーヴェンの実験精神が表れた最後の五つのソナタは、彼の時代を遥かに超え新たな方向を指し示しています。

A: もしも当時のベートーヴェンがある程度の社交生活を維持していたら、絶対にあの五つの作品は書けなかったでしょう。あれは、ベートーヴェンが二十数年世間から自身を隔離して暮らした成果、孤独で寂漠とした心象風景だったのでしょう。当時の彼は無一文で、世間から理解されようともせず、これらの作品が演奏される可能性すら考えていませんでした。 ・・・孤独の中で、ベートーヴェンは音楽の先行きを予感し、未来に向かって作品を大きく発展させました。彼はマーラーと同様、自身の作品に自信を持って、いつか世の中の人々が彼らの作品を理解する日が来るだろうと思っていました。・・・

Q: あなたにとってベートーヴェンのソナタ全曲を弾くことの意味とは何でしょう?

A: 聴衆とともにベートーヴェンの芸術的な発展を分かち合い、ベートーヴェンの人生の軌跡を歩むことです。私にとってベートーヴェンのソナタ全曲を弾くことは、毎回忘れ難い経験で、聴衆とともに彼の音楽の真髄を楽しんでいます。・・・

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 オピッツはこの秋から日本で、シューマンとブラームスを組み合わせたチクルス(全4回)を開催するようです。楽しみですね。李厳歓が添付してくれた文章もいずれ翻訳してご紹介したいと思います。
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ご無沙汰いたしました! ~「鋼琴芸術」ポゴレリチ~

   
 ブログはすっかりサボってFacebookなどのSNSからだけの発信だったのですが、やはりブログも書かなければ! と心を入れ替えて、少し頑張ってみます(3日坊主にならないといいけれど……)。

 さて、このブログでご紹介していた台湾の音楽ジャーナリスト・評論家の焦元溥さんの『遊藝黒白』の翻訳、第2集を4月にリリースすることができました。

http://www.amazon.co.jp/ピアニストが語る-音符ではなく、音楽を-現代の世界的ピアニストたちとの対話-Chiao-Yuan‐Pu/dp/4865980008/ref=pd_sim_b_1?ie=UTF8&refRID=1C988NZ28NJCR4FJC386


 ツィメルマンのインタビューを中心に、アシュケナージ、キーシンなどのロシアのピアニスト、ルヴィエ、ペロフなどのフランスのピアニストのインタビューを収録しました。多くの方に読んでいただきたいと思います

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 ライター仕事の〆切に追われたり、4月はショパン国際ピアノコンクールの予備予選を聴きにワルシャワに出かけたり、あいかわらずバタバタしていて中国の音楽雑誌に目を通す余裕がなかったのですが、5月の初旬上海に出かけて、久しぶりにピアノ専門誌『鋼琴芸術』のバックナンバーを購入し、朱雅芬(Zhu Yafen)先生の訳・編でポゴレリチのインタビューが掲載されていたので、翻訳してみました。おそらく原文は英語だと思います。出典はよくわからないのですが、1980年のショパン国際ピアノコンクールからそれほど時間は過ぎていないのでは? という内容です。もしかすると、いくつかのインタビューを抜粋して構成したのかもしれません。いずれにしても、興味深い内容です。

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マエストロ、ピアノ演奏を語る Great Pianists on Piano Playing(第48回)
             訳・編 朱雅芬(Zhu Yafen)

イーヴォ・ポゴレリチ(Ivo Pogorelich)

 1958年10月20日、旧ユーゴスラヴィアのベオグラードで生まれる。11歳でモスクワ音楽院附属中央音楽学校に留学し、エフゲニー・マリーニン(Yevgeny Malinin)に師事。1978年、イタリアのカサグランデ国際ピアノコンクール第1位、1980年、モントリオール国際ピアノコンクール第1位。同年、ショパン国際ピアノコンクールでファイナルに残れなかったことに審査員が抗議したことで注目を集めた。1981年5月、カーネギーホールでのデビューリサイタルがセンセーションを巻き起こし、それ以後、世界各地で演奏活動を繰り広げ、活躍している。
 彼の音楽に大きな影響を与えたのは、非凡な能力と見識を持った教師、アリス・ケゼラーゼ(Alice Kezeradze)。ポゴレリチは、彼女を生涯の伴侶とする。
 きわめてユニークで、ときにグロテスクな演奏は、しばしば人々を驚愕させるが、ある種の説得力があることはたしかだ。音楽をデフォルメし、他者と一線を画することを意識した彼の演奏は、常にまったく異なる反響を呼ぶことになる——すなわち「愛」と「憎しみ」だ。

◇    ◇    ◇    ◇

 私はいつからピアノが自分にとって大切なものだと意識したのか覚えていません。しかし、かなり早い頃から、自分自身の中にあるものを何かの形で表現したいという欲求を持っていたことはたしかです。私はおそらく芸術家になるだろうと思っていました。

 子どもの頃の生活は、なかなか大変でした。ピアノを練習しなくてはならないことはわかっていましたが、ほかの子どもたちが放課後楽しく遊んでいるのをうらやましく眺めたものです。ピアニストを目指す子どもにとって、今の練習が将来大きな収穫をもたらすということを理解するのは難しいものです。

 私が最初に好きになったのはプロコフィエフの音楽です。私は20世紀でもっとも価値のある創作をしたのは彼だと思っています。しかし、多くのピアニストが彼の作品を演奏するとき、その意味することが理解できないため、彼の音楽が誤解されるのではないかと心配しています。多くのピアニストたちは、表面的な効果と打楽器的なきらびやかさを求めて満足しています。たとえば、コンクールでは《ピアノソナタ第7番》など、まるで軍馬が駆けるように演奏されます。とにかくテクニック的に明確に弾ければ高い点数が得られますが、作品の悲劇性や風刺などの要素は無視されています。

 私は基礎的なテクニックの練習をしたことがありません。何かの作品を練習しているとき、そのモティーフを自由に変奏して、技術的な練習をしていました。テクニックというのは変奏の芸術だと思うのです。変奏は、自分の手をどのように調整したらよいか、このフレーズの音符をどのようにしたらうまく弾けるかなどということを考えさせ、耳を鍛えてくれます。真の音楽家にとってもっとも大切なのは耳を使うことで、指だけでは何もできません。いつも耳を澄ませていなければならないのです。

 芸術家になるには、音楽以外のさまざまな才能が要求されます。ある意味で闘争的な気質も必要で、それは演奏にとって必要なだけでなく、笑顔で称賛する人たちが陰で私の演奏についてあれこれ言う人たちに立ち向かうためにも必要です。多くの場合、それは妬みから来るものです。能力があるからこそ受けて立たなくてはならない試練ですが、恐ろしいと思います。私は芸術的にすでに成熟していますが、多くの人々は25歳の人間がそんなに成熟しているはずはないと思うわけです。それが事実だというのに。悪口を言う人たちのことは意に介していません。私はただ自分自身の生活のリズムを守りたいと思っています。

 ワルシャワのコンクールは、災い転じて福と成すという結果になりました。もし私があのコンクールで第1位になっていたとしても、今ほど世界の注目を集めていたかどうかはわかりません。もちろん、コンクールで私の演奏が認められて賞を得ていれば、経済的な収入という意味ではよかったかもしれません。しかし、私は評論家のみなさんの賞賛を得ることができました。これは、評論家と審査員の意見がまったく異なるということをはっきりと証明したわけです。私は評論家のみなさんからショパンの音楽の解釈と演奏を認めていただき、賞をいただいたと思っています。

 ひとつ大切なことを若い人たちに伝えたいと思います。信念を持ち、自分自身に忠実であれば、あなたを遮るものは何もありません。——どんな体制、どんな政治、どんな民族、どんな国家であっても、世界中であなたを遮るものはないのです! あなたが真にそれを求めれば、絶対に手に入れることができます。

 偉大な解釈というものは、少し聴いただけで聴衆を説得する力を持っています。それができれば、あなたは音楽の世界でクリエイターになれるでしょう。リズム、時間の使い方、緩急、和音の処理、フレージングやペダリング、そして楽曲の美学と内容の理解、等々、すべてを把握した上で新たな創造をすることができれば……。音楽の旋律とその中に息づく要素を掴むことも必要です。言い換えれば、あなたは作品の創造者、クリエイターになって、あらゆるものを完璧な形式の中で融合させなければならないのです。

 私と妻との出会いは、まるでハリウッド映画のワンシーンのようでした。骨董や絵画で埋め尽くされた素敵な屋敷でのパーティーで、私は部屋の片隅に置かれたスタインウェイのピアノを見つけました。誰も弾いたことがないのではないかと思い、椅子に座って少し弾いてみたのです。そうすると、私の演奏を評する簡潔な言葉が聴こえてきました。その言葉の裏に巨大な知識が隠されていることに、私はすぐに気づきました。私はその場で彼女に何回かレッスンをしてほしいと頼みました。彼女は「もちろんいいわよ」と答えてくれました。私はベートーヴェンのソナタを1曲携えて最初のレッスンに臨みました。最初の数小節に3時間半も使ったことを今でも覚えています。そのレッスンで、彼女は私の前に音楽の宝庫の扉を開いてくれました。それは私のその後を左右するきわめて重要な時間でした。そのとき私は、モスクワ音楽院の先生たちから学ぶことのできないものがここにあると感じたのです。

 ステージで演奏するときにもっとも大切なことは、ただひとつだと思っています。それは、できる限りリラックスすること。作品をしっかり把握した上で、どのような情況でも落ち着いて対処しなくてはなりません。酷いホール、酷い聴衆、たとえ自分が作品に対して消化不良気味であったとしても、自身をコントロールする能力を失ってはいけません。ステージは自分を奮い立たせる場ではなく、芸術を創造する場なのです。ピアニストはステージで帝王であるべきで、すべてを征服しなくてはなりません。

 ステージではしばしば思いがけないことが起こります。あるとき、シューマンの《トッカータ》を弾いていたら、蝿が飛んできて私の手にとまりました。ちょうどあのもっとも難しいフレーズを弾こうとしていたとき、蝿は平気で私の手の上を這い始めたんですよ! そして、突然飛び立ちました。私はホッとしましたが、またもう一方の手がオクターブを弾くときに降りてきてとまりました。この蝿はよほどシューマンが好きだったのでしょう。

 ピアニストになれるかどうかというのは、とてもデリケートな問題です。自分自身を振り返って、ピアノを弾き始めたばかりの頃のすべてが現在につながっていると感じますが、今の私からは遥か遠い昔の日々です。私は自分が将来何になるかわかりませんでしたし、生活の中で学んだことのすべてが将来役に立つとは思ってもいませんでした。物事の表面だけを見るのではなく常に考え、真理を探求し、音楽の迷宮に分け入り、奥義をきわめなければいけません。いつから真に音楽を愛し始めたのか、誰もがよくわからないでしょう。子どもの頃は、それに気づくことができないものです。恋愛と同じで、気づいたときに、あぁ、すでに準備ができたていたのだと知るわけです。

 バッハの音楽はもっとも深遠で、現代のピアノで演奏するのはきわめて難しいと思います。真の芸術家でなければ、バッハは演奏できません。長年、バッハの作品をすばらしく弾くことは私の夢でした。この夢は、ひとりの聖職者がいつの日か大司教の服を着ることを夢みるようなものです。バッハの音楽は偉大で、1小節ごとに自身のピアノの能力が試されているような気がします。至上の音楽、この世のあらゆる善と美を包括しています。それは、哲学的な思考と深い教養を要求し、芸術の再創造というもっとも難しい命題を突きつけます。その音楽は簡素でありながら、けっして平凡ではなく、神聖です。ポリフォニー音楽がいかに複雑であるかということと、すべての音楽の要素がそこに詰まっていることを教えてくれます。

 私たちは作曲家が書いたすばらしい音楽を受け取り、作曲家の個性と才能を表現しなければなりません。それには抽象的なイメージと客観性が必要です。最初に感じたインイピレーションから出発し、誠実に作品に向き合って完璧に両者のバランスがとれた音楽を構築しなければなりません。音楽の発展は常に形式を超越し、作品解釈や演奏スタイルも時代と共に変化しますが、それぞれの作品から偉大な思想を引き出し、生命を与え、作品の意味を深めていくのが私たちの仕事です。

 バッハの《イギリス組曲》はピアニストにきわめて特殊な問題を提起します。《パルティータ》よりさらに音符が少ないため、その解釈と演奏は難しく、少ない音符で音楽を組み立てなければなりません。ある時期、私は《イギリス組曲》の中の1曲をコンサートで演奏していましたが、酷い演奏だったと思います。妻の助力で、音色の色彩のパレットを使って画家のように音楽を描き出すことはできましたが、さまざまな音色や響きを完全にコントロールすることはできませんでした。

 以前師事したある先生が私に語った言葉を永遠に忘れることができません。ピアニストは一生をかけて自分自身のあらゆる面を成長させなければならない、いくつかのレパートリーだけを抱え、それを弾いて50年過ごしてはいけないと彼は言いました。しかし、私はそれもピアニストとしてのひとつの生き方ではないかと思います。その中で解釈や演奏を熟成させていけばいいのです。今私たちがよくわかっていると思う音楽を、20年後にまったく違う角度からアプローチすることもできるのですから……。彼はさらにこう語りました。成長したいと願っているピアニストが目指すべき健全な方向は、それぞれの作品を技巧的に完璧に弾くこと、作品の旋律以外の内声をいつも意識することだと。このふたつは、ピアニストにとってもっとも大切なことだと思います。ひとつは指をいつも鍛えて技巧を磨くこと、もうひとつは頭脳を明晰に保って常に考えること。ピアニストはたゆまず努力し、考え続けなければなりません。

                    『鋼琴芸術』(人民音楽出版社)2014年11月号より
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フー・ツォン、81歳の誕生日おめでとうございます!

   
 東京大空襲から70年、東日本大地震から4年、絶対に忘れてはいけないと思いながら、重苦しい気持ちで書いています。

 しかし、東京大空襲って、非戦闘員の民間人が10万人も亡くなったのですね。これって戦争犯罪じゃないのかなぁと思うのですが、敗戦国は何も言えないのでしょうか。いちおう政治学科卒の私ですが、政治的な発言は避けるようにしています。頭が悪いので、よくわからないことばかりなのです。広島、長崎の原爆被害も酷いですが、東京、名古屋、大阪、神戸などの空襲で20万人以上亡くなった? どう考えたらいいのでしょう?

 東日本大震災についても、ちょうど1年後に釜石の音楽教室を取材して大きなショックを受けました。何をどう書いても薄っぺらな表現になるだけ、とにかくある音楽雑誌に記事を書きましたが、雪原を電車で走ってやっとたどり着いた釜石の風景は衝撃的でした。

 そんなことを考えながら、3月10日はフー・ツォンの81回目の誕生日だったので、久々にブログを更新します。

 昨年11月、80歳を記念したリサイタルを上海で聴き、指はもう動かないけれど、その音楽には深く感動しました。



 どなたか知りませんが、you tube にアップしてくださってありがとうございます

 さて、「ピアニストが語る!」の第2弾も、やっと校正作業に入り、もうすぐ皆様に読んでいただけると思います。第3弾には、ダン・タイ・ソン、フー・ツォン、クン=ウー・パイクなどのアジアのピアニスト、ピエール=ロラン・エマールなどのフランスのピアニスト、バイロン・ジャニス、レオン・フライシャーなどのアメリカのピアニストのインタビューを収録したいと思っています。1冊目、2冊目が売れないと厳しいのですが、とにかく頑張ります

 焦元溥さんの《遊藝黒白》、どのインタビューも実におもしろく、翻訳しながら勉強させていただいているのですが、フー・ツォンのインタビューを翻訳してみて、彼の評伝を書いた私にもこの内容は引き出せなかったと感服したので、マエストロの誕生日に、少しだけご紹介しますね。

 かなりのロング・インタビューなので、ごく一部です。




◇あなたはピアノを演奏する際、和声を意識することが大切だとお考えのようですが、それについて詳しくお話しいただけますか? 旋律を重視して演奏するピアニストが多いように思うのですが……。

 その通りです。作曲家たちは多くの場合、旋律を高音部に配しているので、それを聴く人たちは和声よりも旋律を聴きます。私が和声を重視するのは、そこから作曲家の思考を読み解くことができるからです。旋律は和声の基礎の上に生まれます。作品の鍵を握る和声は往々にして右手の主旋律ではなく、左手の中低音部に現れていることが多いのです。作品の真の精神を表現しようと思うなら、旋律と和声の関係を把握すべきです。とくに作曲家の調性の扱い方を探求すると、彼らが何を考えていたかがわかります。
 モーツァルト《ピアノ・ソナタ第十四番ハ短調》(K.457)の第一楽章を例にとってみましょう。モーツァルトは旋律の発展とともに自由に調と和声を変化させていますが、ハ短調に戻ると、自身の考えや心理を誠実に語っています。ハ短調というのは悲劇的な調で、強烈な宿命のようなものを感じさせます。調性や和声の変化の繰り返しを正しくとらえられれば、それぞれのフレーズの個性を表現できるでしょう。
 旋律は和声から生まれて発展します。旋律と和声を分けて考えることはできません。ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ第三十二番》の第二楽章は、楽譜だけを見るとリズムの変化に目を奪われがちですが、演奏者が和声の変化を意識して旋律を奏でれば、すべての疑問が自然に解けていきます。旋律を表現することや楽譜通りに拍を数えることばかりを考えていると、音楽の妙味は失われます。
装飾音の演奏も、和声と深く関係しています。旋律を重視して装飾音を入れるか、和声を重視して装飾音を入れるかで、拍のどこに入れるかが決まります。これは、演奏する際に絶対に注意しなければならないことです。
 ピアニストは和声の指示に従って旋律のフレージングを考えるべきで、ひとつの和声はひとつの旋律のフレーズの歌唱に呼応しています。それこそが、音楽の意味だと思います。たとえば、ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第四番》の第三楽章はト長調、ホ短調、ハ長調で書かれ、ハ長調を中心とした調性で構成されています。ショパン《ピアノ協奏曲第二番》の第四楽章も、第三楽章の結尾部から生まれ、さらに和声が豊かに広がっていきます。
 多くの人々は旋律ばかりを聴きがちですが、和声の中にこそ作曲家の深い意図が隠されているのです。

◇フレージングは、作曲家が楽譜に書き込んだ指示からだけで判断してはいけないということですか? 多くのピアニストは、「楽譜に忠実」であるために、楽譜上のスラーや強弱の指示通りに表現していますが……。

 トスカニーニの例を話しましょう。彼がオーケストラとリハーサルをしていたときのことです。楽譜に「フォルテ」と書かれている箇所を、弱音で演奏するよう指示しました。何度リハーサルをしても、団員は間違え、トスカニーニはとうとう怒りました。団員も納得できずに反論しました。「楽譜にはっきりとフォルテと書いてあるではありませんか!」と。「大馬鹿者!」とトスカニーニは叫び、「この世には何千種類ものフォルテがあるんだ!」と言いました。
 その通りです。強拍のフォルテ、弱拍のフォルテ、高音のフォルテ、憂愁を感じさせるフォルテ、さまざまな状況、情感の表現によってフォルテの意味は変わりますよね? 作曲家は演奏者を戸惑わせているわけではありません。ピアニストが作品を詳細に研究し、作曲家が書いた音符や指示の行間の意味を汲み取り、作品の構造、調性、情感などをよく考えれば、ごく自然に作品の中に入って正しい解釈ができるはずです。それこそが音楽に誠実な演奏家です。たとえばアラウ、彼の演奏は絶対に「間違う」ことはありませんでした。彼の音楽に対する姿勢は一貫して厳格で、その解釈や視点もほかの人とは違いました。彼の思考は作品それ自体から出発し、技巧をひけらかしたり、奇をてらう表現とはまったく無縁でした。




いかがですか? 私はとても感銘を受けました。そのほか少しご紹介して、マエストロの誕生日を祝いたいと思います。




◇あなたのように厳格に作曲家の意図を探求する芸術家にとって、さまざまな楽譜の版にもご意見があるでしょうね。エキエル氏のショパン作品のナショナル・エディションについて、どのようにお考えでしょうか?

 正真正銘の聖典だと思います。エキエルは厳格で真面目な研究者で、ショパン作品を深く探究しました。この校訂版のために、彼はショパンが弟子たちのために楽譜に書き込んだ注釈や記号を詳細に研究しています。手稿、違う版、あらゆる指導の手跡(teaching copies)を辿って、すべてを明らかにしています。これは本当に容易なことではありません。

◇しかし、それが論議のもとにもなっています。ショパンの指導の手跡の指示はそれぞれ違っていて、強弱や装飾音の指示も違い、互いに衝突していることもあります。それはショパンの演奏が即興的だったからだと思う人が多いようですが、史実をよく読むと、ショパンは彼の楽譜上の指示を軽視して「勝手に」彼の音楽を演奏することを嫌っていたようです。エキエル氏はどのように取捨選択して偉大なエディションを編纂したのでしょう?

 それがまさにエキエルが傑出しているところです。たしかに互いに衝突している版もあります。ですから、編纂者は真にショパンを理解しているだけでなく、優れた審美眼を持っていなければなりません。
 なぜこれほど違う指導の手跡が残っているのでしょうか? 理由は簡単です。ある日来た生徒の指が弱ければ、ショパンは大切なフレーズをもっと強く弾きなさいと言ったでしょう。翌日来た生徒が強音だけで暴力的に弾いたら、もっと弱く優しく弾きなさいと言ったでしょう。ある生徒が速く弾き過ぎたら、もっとゆっくりと言ったでしょうし、その逆の場合もあるわけです。そのような手跡は、ショパンが生徒たちの個性に合わせて書き込んだ指示で、「その生徒がどのように演奏するべきか」であって、「その作品のこのように解釈するべき」という意味ではありません。エキエルは細心の注意をはらってショパンの本来の意図を探り、相反する手跡の中から正確な指示を抽出してすばらしい校訂版をつくり上げたのです。
 もうひとつショパンの指示を考えるとき、あらゆる版で終始一貫して「拍の上に(on the beat)」と指示していることを忘れてはいけません! どの版でも、ショパンは生徒のために右手の旋律と左手の拍の関係をはっきりと書き示しています。これはショパンがきわめて「古典的」な演奏家であったことを証明するものです。彼はバッハの息子、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの古典的な演奏の伝統を継承しています。それはショパンの音楽のもっとも基本的な要素なのに、残念なことに今では忘れられていることが多いですね。

◇ショパンがバッハとモーツァルトを崇拝し、古典の精神を深く持っていたことは誰もが知っていますが、それを音楽でどのように表現したらよいかわからないのではないでしょうか?

 あなたはランドフスカが演奏したモーツァルトの《ピアノ協奏曲第二十六番「戴冠式」》を聴いたことがありますか? 第一楽章の天国のように美しく味わい深いフレーズ、自由闊達な装飾音、歌劇《ドン・ジョバンニ》を思い起こさせる神業のような演奏は、まさに絶品です。私はこれをこの作品の最高の演奏だと思うだけでなく、もっとも優れたモーツァルトの演奏だと言っても過言ではないと思っています。
 私がポーランドで学んでいたころ、ある友人がランドフスカはモーツァルトとバッハの演奏家になる前はショパン弾きだったと教えてくれました。これは不思議でしょうか? 少しも不思議ではありません。だからこそ、彼女のモーツァルトがすばらしいのです! 最近のショパンの演奏は度が過ぎています。モーツァルトの演奏も杓子定規で味わいがなく、まったく聴くに堪えません。

◇演奏家は「テンポ・ルバート」をどのように使うべきなのでしょうか? リストは「テンポ・ルバート」を、樹木の枝や葉が風に揺れるように表現しなさい、樹木の幹はしっかりと大地に根を張っていなければならないと言ったようですが、どんなときに風に揺れ、どんなときにしっかりと根を張っているべきなのでしょうか?

 演奏者が作品の本質に触れて答えを導き出すしかありません。ショパン《ピアノ協奏曲第一番》の第二楽章を例にとってみましょう。テンポ・ルバートを多用し、ロマンティックに弾くピアニストが多いですよね。しかし、この楽章の楽譜をよく見ると、右手と左手が呼応しながらあらゆる和声が出現していることに気づくはずです。そのような箇所では、絶対に拍を正確に刻んで演奏するべきです。この楽章を単純に主題と伴奏と考えるのは誤りで、対位法的に書かれているそれぞれの声部を描き出さなければ、ショパンの本来の意図を表現することはできません。ピアニストは作品の成り立ちを徹底的に調べ、楽譜を深く研究してから、どのように弾くべきかを考えなければなりません。




◇あなたは作曲家同士が相互に影響し合ったことも重視していますね。

 もちろんです。多くの作品の内容が、ほかの作品に影響されていることに気づくからです。たとえば、ショパンの《幻想曲》は独自の風格を持った作品だと誰もが思うでしょう。私もショパンがなぜこの作品を書いたのか不思議で仕方がありませんでした。しかし、ある演奏会でベルリオーズの《葬送と勝利の大交響曲》を聴いているとき、この曲とショパンの《幻想曲》の類似点に気づいたのです。家に帰って資料を調べてみると、果たしてショパンは《幻想曲》を書く少し前に、この作品のリハーサルを聴いていたのです。それは、ショパンが最後に出かけた演奏会でした。私はショパンの《幻想曲》とベルリオーズの《葬送と勝利の大交響曲》の間に関係があると思っています。

◇あなたのヒーロー、ベルリオーズの話が出ましたね! ベルリオーズについてお話しいただけませんか? 彼は稀に見る天才作曲家だったにもかかわらず、その独創的な作風は今日に至るまで真に理解されているとは言い難いと思います。

 ベルリオーズは偉大な作曲家です! 彼の音楽は大きく豊かな構想によって組み立てられ、旋律の緩急は天に昇り地を潤すような絶妙なバランスを保ち、その魂は宇宙の玄義に通じているように感じられます。
 ゲーテ『ファウスト』のマルグリートは、リストの《ピアノ・ソナタロ短調》でも感動的に描かれていますが(第三三一小節/譜例三)、ベルリオーズの《ファウストの劫罰》の中でマルグリートが歌う《ロマンス》は、この世のものとは思えない美しさを湛えています。(譜例四)
 それは、王国維が『人間詞話』の中で論じている北宋の徽宗と南唐の李煜(李後主)の詞の違いに通じるような気がします。徽宗も李煜も亡国の君主ですが、徽宗が自身の運命を嘆いているのに対し、李煜の詞には人類全体の罪を背負っているような悲哀を感じられ、彼らの境地には隔たりがあります。(注2)私はリストをけなしているわけではありません。「音楽家」としても「人間」としても、リストは偉大で尊敬すべき人物です。しかし、芸術的な観点から見ると、ベルリオーズは時代を超越した非凡な見識を持っていただけでなく、誰にも及びもつかないような天賦の才能と感受性を持ち、天と地、過去と未来、すべてを包括する独自の音楽世界を繰り広げています。それは言葉では言い表せない芸術の最高の境地です。

◇あなたの好きな作曲家、モーツァルト、ショパン、シューベルト、ドビュッシーなどの作品には、天国にいるような感覚がありますね。

 その通りです。とくにベルリオーズの作品には強烈な独創性があり、それぞれの作品がすべて違い、けっして重複することはありません。彼がオペラ《トロイアの人々》の中で描いた女預言者カッサンドラは、まるで彼自身のようです。当時の人々は彼の構想を狂っていると思いましたが、彼に先見の明があったことは歴史が証明しています。

◇ベルリオーズには古典的な面があるように思います。歌曲集《夏の夜》はバランスがとれた優美な作品ですし、彼のオペラの創作理念はグルックを基礎にしています。

 もちろんです。優れた作曲家はみな古典派とロマン派の両面を持っています。ベルリオーズはグルックのオペラ改革の理念を尊敬し、純粋に音楽とドラマを追求していました。この点で、ベルリオーズは絶対に正しかったと言えるでしょう。

◇あなたはベルリオーズの研究者として知られる指揮者のコリン・デイヴィスと親しいそうですね。

 はい。一九六九年、ロンドンで彼が指揮した《トロイアの人々》全幕は、私がもっとも感動した音楽経験でした。聴き終わった瞬間、私は心を揺り動かされてすぐに動けず、座ったまま涙があふれるのを止めることができませんでした。家に帰っても私の心の中はベルリオーズの音楽でいっぱいで、興奮はなかなか冷めず、数日後、国外に演奏旅行に出かけたのですが、やはりどうしても忘れることができなかったので、飛行機の中でコリン・デイヴィスに宛てて手紙を書き、感想を伝えました。書き終わってみたら、便箋が四十数枚にもなっていました! コリン・デイヴィスがこれを受け取ったら、さぞかし驚くだろうと思いましたよ。
 四カ月余りが過ぎて、彼からの返事を受け取りました。彼の筆跡は彼の音楽に似て、実に端正で生命力にあふれていました。

◇古典派からロマン派への架け橋となったベートーヴェンについて、どのようにお考えですか?

 ベートーヴェンを理解するもっともよい方法は、彼のオペラ《フィデリオ》を研究することです。彼はこのオペラを書くためにもがき苦しみ、奮闘し、努力し続けました。ベートーヴェンにとってこの作品は、ただのオペラではなく、人文主義精神と人生哲学の縮図であり、最終的に彼が求めたのは人類の解放でした。そのような精神は、ヘンデルの影響が大きいと思います。
 ベートーヴェンの時代、ハイドン、モーツァルト、グルックなどの作曲家が活躍していましたが、忘れてはならないのはヘンデルの存在です。ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第四番》第三楽章の結尾部の歓喜が湧き起こるような音楽とリズムは、まさにヘンデルの《メサイア》に相通じるものです。同じような結尾部が、ベートーヴェンの作品にはよく現れます。
 中年の頃のベートーヴェンは、人間の力は必ず大自然に打ち勝つことができると信じていました。しかし、晩年になって彼は「屈服」しました。ベートーヴェンの作品を鑑賞する度に、彼は私のもっとも好きな作曲家ではないなと感じます。彼の音楽には、あまりにも「主義」が多過ぎます。この点に関して、グールドの観察は鋭いと思います。彼は《ピアノ協奏曲「皇帝」》の第一楽章の第二主題を例にとって、この音楽のどこがよいのだろう? と問い、ほかの誰かがこのように書いてもよい音楽にはならないが、ベートーヴェンだからすばらしいのだと言っています。
 ベートーヴェンは、彼が音楽で語るすべての言葉に意味があると信じていました。そのような精神と気迫には驚嘆せざるをえず、作曲家の強い意志に貫かれた音楽は、ほかの作曲家とは一線を画しています。もしも、音楽家がベートーヴェンの精神、彼の理想主義を表現できるのなら……、フルトヴェングラーとフィッシヤーの《皇帝》のように……、それは真に輝かしく偉大な演奏になると思います。

◇あなたは中国とヨーロッパの文化に深く精通するきわめて稀な芸術家ですが、これまでの人生を振り返って、あなたにもっとも大きな影響を与えた人物や出来事についてお話しいただけますか?

 私がもっとも尊敬する演奏芸術家はフルトヴェングラーです。彼の音楽は奥深く、大きく豊かで、宇宙や自然に通じています。彼の演奏のもっとも偉大なところは、常に和声に基づいてフレーズを発展させていることです。音楽は天馬が空を行くように自由奔放なのに、演奏自体は重厚で含蓄に富み、彼にしかない音楽の魔力を感じさせます。彼の演奏は毎回違いますが、本質がぶれることはなく、完璧な思考と論理に導かれながら、その音楽には神秘的なインスピレーションが満ちています。
 ルプーとアルゲリッチは、私のもっとも親しい友人です。これほど長い年月にわたって友情を育んできたことは、すばらしいと思います。以前、バレンボイムと毎日のように会って、モーツァルトの協奏曲について語り合ったことがありました。お互いに啓発し合う刺激的な日々でした。カルロス・クライバーの魔法のような指揮と音楽も絶対に忘れることができません。彼らはみな、私に大きな影響を与えていますね。

◇とくにお好きなピアノ演奏についてお話しいただけますか?

 長年にわたって私の心の中に生き続け、永遠に魅力を失わない演奏は、ベンジャミン・ブリテンの伴奏によるピーター・ピアーズのシューベルト《美しき水車小屋の娘》と《冬の旅》です。

◇それはなぜですか?

 彼がピアニストとしてではなく、作曲家として演奏しているからです! 彼のようにシューベルトを演奏する人は誰もいません。それはまさにひとりの大作曲家によるもうひとりの大作曲家の作品の演奏にほかなりません。ブリテンはシューベルトの歌曲のひとつひとつの和声のつながりや変化を的確にとらえ、旋律と和声の関係を明確に描き出しています。彼のシューベルトの演奏は、まるでひとりの声の合唱団のようで、生き生きとしたリズムに乗って絶え間なく旋律を歌い、音楽に言葉を語らせています。私は彼の演奏に心から感服しています。あの精妙な響きは永遠に私の耳の中に残っています。




 ごく一部をご紹介しましたが、翻訳しながら私のフー・ツォン観がちょっと変わりました。全文をぜひ皆さんに読んでいただきたいです。インタビューの中に出てきたランドフスカやブリテンの音盤、何度も繰り返し聴いています。
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Amazon のレビュー

   
 今年も1カ月が過ぎ去り、2月になってしまいました

 毎年2月は広告関係のお仕事をいただき、ちょっとハードなスケジュールで苦手なコピーライター的な仕事をするので、あ~、この季節が来たか、体力が保つかな、頭は大丈夫かなと心配になります 語彙不足~! あぁ、言葉が欲しい! という毎日になりそう……。日本語、難しいです。

 拙訳本『ピアニストが語る!』、おかげさまで多くの方に読んでいただき、ありがたい感想をいただいていますが、「読みやすい」と言っていただけると、とってもうれしくなります。私は翻訳ものを読むのが苦手で、小説などの文学作品はいいのですが、学術書になると、もうこれが日本語なのかしら? とまったく頭に入らず、途中でギブアップすることがよくあります。私の頭が悪いからだと思いますが、翻訳にあたって「読みやすい日本語」を心がけたことはたしかです。中国語の翻訳の難しさは、同じ漢字を使った単語の意味が微妙に違うことです。中国語の漢字の単語をそのまま使って、漢文の読み下し文のように翻訳すると、とても読みにくくなるので、なるべく「大和言葉」というか、日本語らしい自然な表現になるよう推敲を重ねました。

 私のフリーライター、コピーライターとしての経験を生かすことができたのかもしれません。適切な表現をするための言葉、語彙を探し求めるような仕事ですから……。若い頃の留学体験で習得した中国語、クラシック音楽の世界でライターとして仕事をしてきた経験を生かすことができる本に巡り会えて幸せです。

 続刊も、もうすぐ出せると思います。さらにおもしろいので、ご期待ください。

 さて、2月に入り、Amazon のサイトを覗いたら、新たに「柳楽」さんという方がレビューを書いてくださっていました。内容についての感想は、まさに私も同感! 翻訳を読みやすいと言ってくださったことがうれしかったので、掲載させていただきます。ありがとうございました!




クラシックはまだ聴き始めて2年目なので的外れなレビューは控えようと思っていたのですが、是非とも次巻が出て欲しいのでレビュー投稿します。

台湾の大学では政治学を学び、その後アメリカの法律学校で学んだ後、イギリスでなぜか音楽学を学んで博士号まで取ってしまったという驚異的な行動力と音楽愛とコミュニケーション能力を持つ台湾の著述家が(たぶん実家が金持ちだったんでしょう)、ほとんど飛び込みで行った世界各地のピアニストのインタビュー集です。
出版社や事務所のバックなしでこんなことできる人ってなかなかいないと思います。

本当は55人にインタビューしており、中国語版(原題のタイトルも味わい深い)で上下巻なので、日本語に訳したら4〜5巻になるだろうということで今回はまず14人分のインタビューを収録して様子見とのこと。
(売れ行き好調なら次の巻が出るそうです。クラシックのレコード売り場の様子を見てると売れてるみたいですけどね)

以下感想です。
○インタビュアーが音楽を解する人な上に事前準備もしっかり行っており質問も的確で、かつコミュニケーション能力も高いため(あのポゴレリチと仲良しになれるってすごい)、ピアニストの皆さんも喜んで質問に答えてくれていて濃厚なインタビュー集になっている。特にポゴレリチの真面目さには驚いた。割かれているページ数も他のピアニストより多いです。
○原書が出版されたのは2007年だが、今回本書が出版されるにあたって著者が後日談等の加筆を行っているので、日本語版ならではのお得感がある。
○各インタビューの後にピアニスト自薦の3枚がリストアップされており、それを見て色々とピアニストの考えに想像をめぐらすのも一興。
●ピアニストのチョイスは原著順ではなく(原著では国別の章立てになっている。ちなみに今回はロシア系が多め)、何かしらマーケティング戦略といったものが見えてくるようなセレクションになっており、知らないピアニストが半分くらいいた(私の不勉強もあるでしょうが)。
今回だと有名どころはポゴレリチとレオンスカヤとルガンスキーとアンスネス、あとはルディとドノホーとフォークトあたりは名前聴いたことあるなという程度で残り半分は知らない人ばっかで、中にはCD1枚しか出してない台湾人ピアニストも。

ちなみにその米国在住の台湾人ピアニスト、グウィニス・チェン(なんとポゴレリチ夫妻の弟子)とのインタビューは中国語で行われたそうで(他は英語)、「気」とか「武功」とか「少林寺の修行みたい」といった金庸の武侠小説好きにはたまらない言葉が普通に出てきて、しまいには「ピアノカンフー」という概念まで登場しピアノと中国武術には相通ずるものがある的な話になっていくあたりは個人的にはツボでした(カンフーについてはポゴレリチもブルース・リーを例に出して語っています)。
他のインタビューでも名言があったはずなので、思い出したらまた追記させていただこうと思います。

ちなみにまだ邦訳が出てない中にはツィメルマンやキーシンやルヴィエやロジェなんかも入っているらしいので、早く続刊希望です。
(今回その辺をあえて後ろに回したのは、最初の巻にその辺も入れてしまうとその後の巻の売り上げに影響するからでしょうか)
とりあえず続きが待ちきれない私は台湾の通販サイトで中国語版をオーダーしてしまいました。

森岡葉さんの訳文もこなれていて読みやすいです。ご本人の文章力もあるでしょうが、やはり中国語から訳す方が欧米系の言語よりおさまりがいいのかなと思いました。洋書からの本訳だともうちょい引っかかりながら読む感じになるんですが、それがありません。

アルファベータ社は以前フランソワ本を出したものの、微妙なタイトルに加え期待はずれというかファンなら誰でも知っているような内容のことばかりでいまいち新味がなく、出版社自体にあまりいい印象を持っていなかったのですが、今回電子出版も危ぶまれた本書を無事出版してくれたことに敬意を表します。

インタビューされているピアニストのメンツが知らない人多かったので星4つにしようと思いましたが、原著者のおそるべき行動力と翻訳者の出版までの努力にリスペクトを表し、星5つを献上させていただきます。

また、本書のおかげでエリソ・ヴィルサラーゼという素晴らしいピアニストを知ることができ、感謝しています。
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