フリーライターの森岡葉のブログです。 大好きな音楽のこと、日々の出会い、楽しかったこと、美味しかったもののことなどを書いていきたいと思います。



   
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jasminium

Author:jasminium
1956年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1975年~76年北京語言学院・北京大学歴史系に留学。音楽ジャーナリスト。2009年第53回ブゾーニ国際ピアノコンクールにプレス審査員として招かれたほか、ハエン国際ピアノコンクール、シドニー国際ピアノコンクール、中国国際ピアノコンクールなどにジャーナリストとして招かれている。著書:『望郷のマズルカ~激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』(ショパン)、『知っているようで知らないエレクトーンおもしろ雑学事典』(共著)(ヤマハミュージックメディア)、訳書:『ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話』(焦元溥著 アルファベータブックス)、『音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 第2巻』(焦元溥著 アルファベータブックス)

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春節前の上海~新たなテーマが見つかったかな~

   
 今回の上海旅行は、買い物をしたり、美味しいものを食べるために行ったというわけでもないんです。そろそろ何かまとまったものを書かなければいけないなと思っていて、資料集め、取材という側面もありました。大学はすでに休暇に入っているので、先生方にゆっくり会えるし、私の知恵袋とも言うべき音楽評論家の李厳歓(リ・イエンホアン)とも話したいし、本屋さんも見たいし、というわけで…。そして、けっこう収穫がありました。

 とはいえ、行ってすぐに知ったのは北京の中央音楽学院の前ピアノ科主任教授の楊峻(ヤン・チュン)先生の訃報。1月29日の夜に、心臓発作で突然亡くなったということでした。
 楊峻先生は、仙台国際音楽コンクールの審査員として来日されたこともあり、第2回仙台国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝したタン・シャオタンほか多くの優秀なピアニストを育てた名教師として知られています。

 私は、2007年にアモイで開催された中国国際ピアノコンクールに招かれたときに、審査員のお一人だった楊峻先生と親しくお話し、中国のピアノ教育についていろいろ伺うことができました。

ヤン・チュン2

 コンクール期間中にお誕生日を迎えたポーランドのヤシンスキ教授をお祝いしている楊峻先生(真ん中)。右は、私の友人でカナダ在住の音楽評論家の朱賢傑(チュウ・シエンジエ)。

ヤン・チュン

 私とのツー・ショット(中国国際ピアノコンクールの表彰式会場で)。中央音楽学院のピアノ科主任を引退した後も、毎日たくさんの生徒を教え、髪の毛もこんなに黒くていっぱいあるんだよ、バトミントンで身体を鍛えているし、と自慢していらしたけれど、亡くなったのは、夕食後、バトミントンをして帰って来て居間で寛いでいるときのことだったとか。昨年9月には、教師生活45周年記念の演奏会が開催されたばかりでした。70歳だったそうです。中国のピアノ教育界に大きな影響を与えていた方なので、早過ぎる死が惜しまれます。


 フー・ツォンの評伝を上梓してからちょうど2年。『楽人の都・上海~近代中国における西洋音楽の受容~』(研文出版)、『上海オーケストラ物語~西洋人音楽家たちの夢~』(春秋社)、『君よ弦外の音を聴け(傅雷家書)』(樹花舎)、『上海~多国籍都市の百年~』(中公新書)などの著書のある榎本泰子さん(中央大学教授)に、「森岡さん、中国と音楽をテーマに是非もう1冊書いてくださいね」と常々言われ、1冊書いただけで終わってはいけない、2冊目が本当の勝負だと思ってはいたものの、雑誌の仕事の取材、〆切に追われ、おまけに怠け者で少しヒマになると遊んでしまって、なかなか腰が上がりませんでした。
 でも、今回の上海滞在中に少しテーマが見えて来ました。榎本さんが戦前の上海の租界で花開いた西洋クラシック音楽の世界、東洋一と言われた上海交響楽団の歴史を何冊かの著作に生き生きと描いたように、私は中国のピアニストの歴史を書いてみようと思います。中国にピアノが入ったのは、150年くらい前。日本とほぼ同じ頃です。最初は、開港地の教会やミッションスクールを中心に普及し始めました。中国の最も初期の音楽家は、上海などの租界地のクリスチャンの家庭やミッションスクールで学んだ人が多いようです。
 中国のピアニストの歴史を考えるとき、上海という場所はきわめて重要です。ラン・ランやユンディ・リら現在活躍している若手ピアニストを指導した教師のルーツを辿ると、すべて上海に行き着きます。上海は、まさに中国のピアニストの揺籃と言っていいでしょう。そこには、ロシア革命やナチスの迫害から逃れて上海に辿り着いたロシア人やユダヤ人のさまざまな音楽家たちが暮らし、フー・ツォン(傅聡)のひとつ前の世代、中国のピアニストの第1世代を育てました。中国で一番古い音楽学校、上海音楽学院では、ザハロフとラザレフという2人のロシア人が、その後上海音楽学院の「5大教授」と呼ばれる李翠貞、范継林、李嘉禄、夏国琼、呉楽懿らを指導し、彼らがフー・ツォンと同じ世代のピアニスト、周広仁(チョウ・グォアンレン)、劉詩昆(リュウ・シークン)らを育てています。その次、あるいは次の次の世代がラン・ラン、ユンディ・リの先生たちです。そうしたピアニストの系譜、ピアノ教育の歴史を、上海という国際都市の特殊な環境を背景に描いてみたいと思うのです。私は日本人ですから、同じ時代の日本のピアニスト、ピアノ教育との比較という視点も忘れずに書かなければいけませんね。中国のことを書くことで、逆に日本のことが見えてくる、そんな切り口も必要だと思っています。
 さらに、60年代の文化大革命によるピアニストたちの悲劇、文革終息後のピアノ・ブームまで、何か日本の読者が興味を持ち、中国という国を理解できるように書ければいいなと思います。

 こんな気持ちになったのは、今回上海で、最近出版されたばかりの李翠貞、范継林、李嘉禄に関する論文集を数冊見つけたからなんです。フー・ツォンの本を書く過程で、これらの人々に関する資料はある程度読んでいたのですが、今回出た本には、初めて知るかなり詳細な情報が含まれています。また、戦前の上海の租界で教育を受けた周広仁先生、朱雅芬先生(ラン・ランの最初の先生)たちもお元気とはいえ80歳以上のご高齢なので、今のうちにお話を聞いておかなければと、楊峻先生のご逝去でつくづく思いました。
 
 そんなわけで、また中国語の資料を積み上げて四苦八苦することになりそうですが、やると言ったことは絶対やることにしているので、ブログに書いて自分へのよい意味でのプレッシャーにしたいと思います。頑張らなくては
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