フリーライターの森岡葉のブログです。 大好きな音楽のこと、日々の出会い、楽しかったこと、美味しかったもののことなどを書いていきたいと思います。



   
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プロフィール

jasminium

Author:jasminium
1956年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1975年~76年北京語言学院・北京大学歴史系に留学。音楽ジャーナリスト。2009年第53回ブゾーニ国際ピアノコンクールにプレス審査員として招かれたほか、ハエン国際ピアノコンクール、シドニー国際ピアノコンクール、中国国際ピアノコンクールなどにジャーナリストとして招かれている。著書:『望郷のマズルカ~激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』(ショパン)、『知っているようで知らないエレクトーンおもしろ雑学事典』(共著)(ヤマハミュージックメディア)、訳書:『ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話』(焦元溥著 アルファベータブックス)、『音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 第2巻』(焦元溥著 アルファベータブックス)

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個性派ピアニスト、ケマル・ゲキチ

   
 年末に聴いたケマル・ゲキチの強烈な演奏が忘れられず、一昨年の夏にインタビューした際のテープ起こしを読み直してみると、興味深いことをたくさん語ってくださっていました。雑誌に掲載された記事の原稿では、そのうちのごく一部しかご紹介できなかったので、ここで少し詳しくご紹介したいと思います。

 ケマル・ゲキチは、1962年生まれのクロアチア出身のピアニスト。1985年のショパン国際ピアノコンクールで個性的な演奏が大きな注目を集めたにもかかわらずファイナルに残れませんでしたが、そのときの録音が高く評価され、国際的に活躍するようになりました。詳しいプロフィールは、こちらをご覧ください。http://www.proarte.co.jp/artists2007-14.html

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(一昨年7月にインタビューしたときのゲキチさん)

 私の拙い英語でのインタビューでしたが、真面目にしっかりと答えてくださいました。ちょっと長いですが、ご興味のある方はご覧ください。

◇ショパンとリストは、ゲキチさんにとって特別な作曲家のようですね。

- ほとんどすべての作曲家が私にとって特別です(笑)。ショパンの作品は、ほとんどすべて弾いています。シューマンも、ラヴェルも、ドビュッシーも好きです。ベートーヴェンもたくさん弾いています。
 ピアノという楽器の真の意味での発展、ピアノ芸術の発展という意味では、やはりショパンとリストは非常に重要な存在です。
 リストの後には、誰ひとり彼のようなピアニスティックな意味での新しい作品を生み出した作曲家は出ていません。ピアノという楽器を生かした技巧的な曲という意味で。ラヴェルやそのほかの作曲家を挙げる人もいますが、ドビュッシーもピアノ音楽に新しいものを吹き込んだと言われますが、私はそれほどとは思っていません。グリッサンドとか、白鍵と黒鍵をどのように使うかとか。でも、ピアノ音楽という意味で、和声、ペダリング、装飾音、技巧…、それらの発展は19世紀に終わっています。プロコフィエフは、まったく新しい言語です。音楽の新しい言語。20世紀には、たくさんの新しいものが生まれていますが、それらは、ロマン派の音楽とは一線を画します。ピアノ音楽が最も発展したのは、ショパンとリストの時代です。

◇あなたはとても個性的なピアニストだと言われていますが、楽曲の解釈について、お聞かせください。

- 私は楽曲を「解釈」したことはありません。私はどのような楽曲解釈も信頼しません。音楽とは、「現象」なのです。説明するのは難しいのですが、音の芸術というだけではない…。最も簡単に言うのなら、それは音の芸術ですが、そこにはたくさんの要素とのつながりがあります。人生も含めて。
 人々はよくこの解釈は正しいとか間違っているとか言いますが、私はそんなことを考えたことはありません。音楽とは、「現象」なのです。さまざまな角度から見ることができる現象。その楽曲や作曲家に対して強い気持ちがあれば、さまざまな視点、さまざまな方法でアプローチできます。私は、同じ曲を2度と同じようには弾きません。
 どう言ったらいいでしょう。「解釈」というものの問題は、それがとても強い意味を持ってしまうことです。こう弾かなければならないと思わせてしまうことです。もちろんやってみる価値はあります。でも、このようなアプローチの問題点は、いつもそれを繰り返そうとすることです。違う楽器、違うホール、そのたびに同じ「解釈」を繰り返すことは、容易なことかもしれません。でも、ときには不可能なこともあります。そのときは、何もなくなってしまう。いつも新しい創造的なアプローチをする、「解釈」ではなく、どう音楽にアプローチをするかが大切なのです。「解釈」という言葉は、とても危険だと思います。一歩間違えると、すべてを地獄に落としてしまいます。音楽にダイレクトにアプローチすることこそ重要です。
 たとえば2000人のホールで弾くときと600人のホールで弾くときとでは、音が聴衆に伝わる構造が違います。私には多くの経験やテクニックの積み重ねがあって、それらのコレクションの中から、この曲をこのホールで弾くにはどうしたらいいかというのを、瞬時にごく自然に選び出すことができます。楽曲についての理解、そのときにその楽曲に対してどう感じているか、それによって自身の経験や技術の蓄積からその瞬間に一番合った弾き方を選び出すわけです。音楽は生きものですから、自然で自発的であることが最も大切なのです。聴衆は、そのとき、その瞬間にしか聴けない音楽を期待しているのですから。絶対に同じには弾きません。

◇録音はどうなのでしょう?

- 録音は、私の実験室です。科学的な…。物理や化学の実験室のようなものと言ったらいいでしょうか。以前は、あるプログラムについてある程度勉強したと感じたときにそれを残そうと録音したものですが、今は違います。もちろん、楽曲について勉強します。それから、録音する。録音はいつもとても速く簡単にできます。1回か2回のテイクで終わる。それから、ちょっと歩き回ってまた録る。たとえば、最近私はショパンのエチュード全曲とプレリュード全曲を録音しました。27曲のエチュードと24曲のプレリュード。全部で51曲。それに私は440くらいのテイクを録りました。437のテイクを。それぞれの曲を10回ずつ、まったく違う弾き方で弾いています。ふたつと同じものはない。頭脳を越えた領域、頭で考えて弾くのではない衝動が生じ、音楽それ自体が自然に作り上げられるのです。それぞれの演奏の違いに誰もが気づくと思います。ほんの小さな違いですが、ちょっとファンタスティックだったり、ちょっと普通と違ったり、これはいいなとか、何と言ったらいいのかな…、それを聴き分けるプロセスで、それぞれの素材をセレクトする。私はエンジニアとして、何がよいか、何がよくないか、何がOKか、何がグレートか、何がファンタスティックか、何が悪いかを研究するわけです。そういう実験室なんです。このプロセスはとてもおもしろい。それは、マイクロフォンのパフォーミングだとも言えますし。マイクロフォンについても研究しなければいけません。難しいことは、それらを有機的に結合することです。犬の頭を鶏の身体につけるようになってはいけない(笑)。しっかり系統立ててまとめなければならない。
 いつも同じ解釈で弾いているピアニストなら簡単かもしれません。いつも同じなのだから。でも、私はいつも違うので難しい。3つ、4つのヴァージョンをつなぎ合わせるのは難しい。けれど、ときにはおもしろい結果になることもあります。10のテイクのうちのひとつが完璧にすばらしくて、何もさわる必要がないこともある。最初の部分はこのテイク、主題の部分はこれ、展開部はこっちのほうがいいとつなぎ合わせることもある。両方のやり方があります。モンスターかフランケンシュタインを創り上げるような作業から、まったく新しいものが生まれることもある。有機的な結合が必要ですが。レコーディングの作業は、私にとっていつも楽しく、グレートな経験です。

◇最新の録音は?

- 6月にレコーディングをしたばかりですが、来年も何かやるでしょう。1年に1、2回はやりたいと思っています。リリースする必要はないのです。録音してとっておくわけです。大きな箱の中にすべてしまってあります。たぶん25から30種類のバロックから現代曲までありとあらゆる録音があります。時間があるときに、それらを取り出して聴いて、気に入ったものがあるとリリースします。

◇1歳半からピアノを弾き始めたそうですね。

- 私がピアノを弾き始めたのはたしかに早かったですが、それはピアニストになろうと思って始めたわけではありません。私の家は音楽的な環境に恵まれていたのです。家には3台のピアノがありました。叔父はヴァイオリンを弾きましたし、祖母は声楽をやっていました。私は生まれたときから音楽に囲まれて育ったのです。生まれたときからというより、生まれる前からですね。赤ん坊はお腹の中で音を聴いていると言いますからね。
 1歳半から弾いていたというのは、ラジオから流れてくる音楽を聴いて、それをピアノですぐに弾いていたということなのです。1歳半で小さなソナタを弾くとか、そんなことは無理にきまっています。そうではなく、耳から聴いた音をすべてピアノで弾くことができたということなんです。そういう能力は今でもあります。交響曲でも何でも、楽譜がなくても弾けます。耳から聴いただけで弾けるだけでなく、違うキーで弾くこともできます。たとえば、『熱情』ソナタをへ短調で弾きたくなくて、嬰へ短調、あるいはロ短調、そのほかのキーで弾くこともできます。

◇訓練ではなく、もともとそういう能力を持っていたのですか?

- 誰でも持っている能力だと思いますよ。ただそれを伸ばさないだけ、あるいは持っていることに気づかないだけだと思います。また気づいても、ちょっとやってみてできないからとがっかりしてやめてしまったり…。いい気分で、何回かやっているうちに自然にできるようになるというのがいいのですけれどね。誰でもできるんです。耳から聴いたものを鍵盤で弾くというのは。人間が楽器を演奏するようになった歴史は長いわけですから、メロディを聴き取って弾くというのはごく当たり前のことだと思うのです。少し訓練すればできるようになります。

◇あなたはご自身で訓練したのですか?

- 訓練というわけではなく、ただおもしろいからやっていた感じです。即興演奏なども、たとえば何もやることがないと3時間も4時間もやって遊んでいました。やらなければならないと思うと大変ですが、楽しんでやっていると集中力も持続して大きな力がつくことがあります。今は、みんなが忙しくて、そういうことをやらなくなってしまっているのです。
 私の学生のひとりに、暗譜に問題のある子がいました。とても才能のある美しい音を持った子なのですが、暗譜ができないのです。コードや和声、楽曲分析など、あらゆることをして彼女を助けたのですが、覚えられない。それで、あるときとうとう私は、「とにかく覚えなさい。とにかく楽譜を見て覚えなさい」と言ったら、彼女は「無理です」と言う。でも、私は人間というのはとても特別な「機械」、高度なメカニズムを持った機械だと思うのです。私たちにはそのメカニズムがわからない。たとえば、どうして喋れるのか。私たちの身体の中には、何10億もの自動的なプロセスがあり、それが私たちにはわかりません。それらはすべて私たちが生きていく上で必要なことです。私たちが音楽を聴いて、どうしてそれを覚えているのか。彼女に言ったんです。短い曲なら1回弾けば、だいたいどんな曲か覚えているでしょう? と。細かいことはともかく。それでいいんだと。彼女の専門はオルガンで、私が知らないオルガンの曲をたくさん弾いていたのですが、それらの楽譜の1ページを私がしばらく見て、それから暗譜で弾いてみせました。彼女は自分にはそんなことできないと言いましたが、簡単な曲、たとえば3つか4つしか音符がないような曲から始めてごらんなさいと言いました。まず見て、楽譜なしで弾く。そこから始めて、だんだん複雑な曲にしてごらんと。少しずつ長く複雑なものが覚えられるようになれば、そのうちちょっと見ただけで、すぐに覚えて弾けるようになるだろうと。誰にでもそれはできるんです。それが、記憶力を伸ばす方法です。
 たとえば、ABCと覚えて、すぐに紙に書くことができるでしょ。何故なら簡単だから。でも、1冊の本は覚えられない。少しずつ訓練すれば、AからZまで覚えられる。そうやって1冊の本を覚えて書くことも可能なのです。
 私が1歳半のときは、キャリアのことなど何も考えずにピアノを弾いていました。私はキャリアを気にする人間ではありません。多くのピアニストがキャリアを気にしたり、有名になりたいと思っています。ひとつのコンサートの成功に一喜一憂している。私は少し違います。私は音楽が好きで、聴衆が好きで、人々のために弾くのが好きなのです。でも、音楽ビジネスは好きではない。そういうことには関心がありません。私が関心があるのは芸術です。もちろんビジネスも必要です。でも、なんとかやっていければ、それ以上は必要としません。人々のために演奏したいけれど、1年に35回から40回のコンサートがあれば充分です。それ以上弾くつもりはありません。その最も大きな理由は、学ぶ時間が必要だからです。勉強には終わりがありません。学んでいなければ、集中力を維持して正しい方向を目指し、よい演奏をすることはできません。できる人もいますけれど。楽屋で15分間だけ練習して、本番で弾けるという人が。私には、そういうことはできません。
 たとえば私は日本に来る前に、十分な練習や準備をしてきました。日本に来てからは、身体を休める必要もあるし、時間の感覚が違いますから1日に2時間くらいしか練習できません。2時間では、「学ぶ」ことはできません。2時間では何もできませんから、何もかもその前にやっておかなければなりません。プログラムの準備という意味だけでなく、概念、考え方など。音楽家は哲学者のようなものです。たくさんの自由な時間と一人になる必要があります。自然の中を歩いたり、ピアノに向かうだけでなく、そういう時間が必要なのです。それが私のスタイルを特殊なものにしているのかもしれません。
 私のスタイルが、ユニークだとか特別だとかすばらしいだとか言われるのは、私が世間からの距離を保っているからだと思います。私はいつもナチュラルで、すべての行動に意味や理由があります。私のやることはすべて自然。私は音楽を信じています。音楽はメッセージです。作曲家のメッセージを伝えるだけでなく、自分自身と結びつけて何かを伝えなければならない。だから私は弾いているのです。私は楽曲の博物館や工場には興味がありません。私は音楽のためだけに演奏しています。オリジナリティを故意に創りたいと思っているわけではありません。それはおもしろいかもしれませんが、私にとって大切なのは美しくて自然なこと。すべてのものがうまく調和したプロセスから音楽が生まれることです。博物館のように歴史的に、そしてインスピレーション、何か特別なもの、それらがそれぞれの場面で調和し、私自身を表現してくれる。だからこそ、私は何も恐れないのです。
 多くの人々はコンサートのときに緊張します。もちろん私も緊張はしますが、批評や評価を恐れたことはありません。このソナタの解釈はこうあるべきではないというような意見には、何も感じません。べつに構わないのです。そういうことは滅多にありませんが、あったとしても構いません。恐れてはいないし、何かを変えようとは思いません。誰にも影響されずに、速く弾くことも大きく弾くことも、何でもできます。批評家に何を言われようと構いません。もちろんそれらを尊重しますが、恐れてはいない。私たちは、ずっと以前に書かれた作品の証言者にならなければならないわけですが、完全にそれができるはずはありません。歴史的に見ても、古代ギリシアの時代から人間は以前に作られた作品を演奏し、今に至っています。まったく新しいアレンジで演奏されたり、大きく形を変えて演奏されることもありました。でも、私たちクラシック音楽家は、作曲家が残した作品をなるべく忠実に再現し普遍性のあるものにしなければなりません。とくにベートーヴェンなどの何人かの特別な作曲家はそうです。非常に高い価値を持った作曲家ですから。彼のアイディアをもう一度生き返らせなければいけないと考えて、作品に取り組みます。そのときに、何かを恐れてはいけません。

◇でも、若いピアニストたちはベートーヴェンを弾くことを恐れます。

- みんなミスをすることを恐れるでしょう? ホロヴィッツがある人にこう尋ねたそうです。「どうしてこんなに多くのピアニストが指揮者になるのだろう」と。その人は「その質問には誰も答えることはできません」と言うと、「私はその答えを知っていますよ。何故なら指揮者は指揮棒を使うから。指揮棒からはミスタッチは生まれません」(笑)
 これはジョークですが、多くのピアニストが間違った音を弾くことを怖がっています。それから暗譜のミスを。とくに大きなホールでのコンサートで。すべてのピアニストがそうです。それから、充分に表現できないことなども。よく理解できます。私もそうでしたから。でも、私はそういうものから自由になりました。そういうプレッシャーから解放されています。一番大切なのは、謙虚な姿勢です。充分に準備して、集中力を高めて、ベストを尽くす。それでいいのです。何も怖がることはないのです。プレッシャーを感じると自分自身が小さくなって、音楽を思うように表現できなくなります。人生もそうです。

◇ショパンコンクールに参加されたときはいかがでしたか?

- 85年にコンクールに参加したとき、私はとてもいい演奏ができたと思っています。私はほかのコンテスタントたちを評価することはできませんが、何故なら聴いていないので、でも、私はあのときの自分自身の演奏をとても誇りに思っています。今でもあのときの演奏を聴いてくれる人たちがいるのですから。インターネットで、今でも多くの人が聴いてくれている。あの時点で、すばらしいパフォーマンスだったと思っています。新しい何かを持っていたし、音もきれいで、エネルギッシュで…。

◇緊張はしませんでしたか?

- 私は少しも緊張していませんでした(笑)。今では何でも言えますが。もう20年以上たっていますからね。そう、たしかに大きなプレッシャーでしたが。
 若いピアニストにとって、コンクールで弾くことは大きなプレッシャーです。暗譜は大丈夫か、間違えないか、ペダリングはどうか、表現ができるか、音はどうかなど、さまざまなことで頭がいっぱい。とくに、最近では中国のような国から来たコンテスタントはものすごい練習をしています。1音も間違えないように毎日何時間も弾く。もちろんすばらしい演奏ができるようになります。でも、そういう練習ばかりしていると失うものもあります。やりすぎると危険です。いつも同じ完璧な演奏ができるというのは。
 ルービンシュタインがマスタークラスでト短調のバラードを教えていたとき、彼はこの曲のすばらしい録音を残していますし、何千回もステージで弾いていますが、このとき彼は最初の5つの音が弾けませんでした。彼は年をとって、少し頭がボケていたようです。人間は年をとるとそうなることがあるのでしょう。

◇祖国クロアチアの紛争の際には辛い時期を過ごされたと聞いています。

- 紛争は10年間続きました。辛いというのは、主に精神的な意味でですが。日本で暮らしている方たちにはわからないと思いますが、同じ国の人間が憎み合って争うというのは悲劇です。こういう紛争は絶対よくないものです。紛争は、政治的な構造から生み出されます。政治的な権力者が生み出すものです。

◇同じクロアチア出身のポゴレリチについてはどう思われますか?

- 最近彼の演奏を聴いていないので、何とも言えません。私の昔の生徒が、モンテネグロの大きな音楽祭のディレクターを務めているのですが、彼がポゴレリチを招いて、ちょうど私が日本に来る前の日に演奏をしたようです。私も行きたかったのですが、物理的にどうしようもありませんでした。翌朝日本に発つという日だったので。いずれ彼からポゴレリチの演奏について聞くことができると思いますが、おそらくポゴレリチは大きく変わったのだと思います。私がポゴレリチの演奏を最後に聴いたのは1982年。27年前です。それはすばらしい演奏でした。
 とにかく私に言えるのは、彼が大きな才能を持ったピアニストであるということです。特異な芸術的パーソナリティを持ったピアニストです。どうして彼がそんなにゆっくり演奏するのかは謎ですが、ほかの人と違う演奏がしたいのか、よくわかりませんが、1982年にユーゴスラビアで聴いた演奏はたしかにすばらしいものでした。あのときに聴いた『夜のギャスパール』の美しさは忘れられません。グラモフォンから出ているショパンの第2番のコンチェルトやポロネーズなどの名演奏の録音もすばらしいですね。本当に凄い才能を持ったピアニストです。でも、最近どうなっているのか、私にはわかりません。ものすごい才能を持った興味深い人物であることは確かです。多くの人が彼の演奏を聴きたがっているということは、彼にそれだけのものがあるということです。

◇来年、再来年はショパンとリストの記念イヤーですが、彼らの作品についてもう一度お話いただけますか?

- 今年3月、マイアミのフェスティバルでショパンの27曲のエチュード、4つのバラード、リストの超絶技巧練習曲12曲とロ短調ソナタを弾きました。
 アプローチが非常に難しい作品ばかりでした。とくにショパンのエチュード。音符を弾くことが難しいというだけでなく、それらをおもしろく、そして美しく形づくることはとても難しいのです。練習曲でありながら、きわめて芸術的な作品です。ポリフォニックで、たくさんの声部があります。楽譜を見ただけではわからないたくさんのラインが。5つ、6つ、7つのサウンドが音楽を構成しています。それぞれが独立したカラーと性格を持ち、ある声部はとても厳格、ある声部はとても自由、それぞれの性格をよく理解して、自由にそれを選びながら音楽を作らなければならない。ただ弾くだけでも難しい曲も幾つかありますしね(笑)。最初の2曲は、とくに難しい技巧を要求しますから。リストは、私はそんなに難しいと思っていません。見た目には難しそうですが、実はそんなに難しくありません(笑)。楽譜を見ると、すごく難しそうに見えますが、実際には簡単なんです。そんなに複雑ではありません。

◇ショパンよりも易しい?

- もちろんです。はるかに簡単です。スタイルの違いですが、リストはとてもプラクティカルなスタイルで作品を書いています。それに対してショパンは非常にパーソナルなスタイルで書いている。彼にしか書けないスタイルで書いているのです。とてもユニークで特殊な書き方です。ちょっとやってみればわかります。誰にも真似できません。弾けば弾くほど難しさのわかる作曲家です。彼が生きている頃、彼が弾いているところを実際に見て学ぼうとした人がたくさんいましたが、誰にも理解することはできませんでした。目には見えない世界なのです。彼の指の下で何が起きているか、誰にもわかりません。音は目に見えませんから。リストもよくショパンの家に行って、何時間も彼が弾いているのを見ていたそうです。遂にかなり似たスタイルに近づいたようですが、とても多くの時間を必要としました。
 40年代のアメリカで、ホロヴィッツのコンサートの聴衆のほとんどがピアニストだったことを思い出しますね(笑)。皆、ホロヴィッツの奏法の秘密が知りたかったのです。そして、家に帰ってやってみてもできない。もちろん無理にきまっています。ときには少し成功したでしょうけれど。たしかに役立つことはあったでしょう。芸術的にという意味では無理ですが。

◇90年代に演奏をやめていた時期があったそうですね。

- この質問は、今回のインタビューの目的から少し離れると思うので、簡単にお話しましょう。私が音楽院の学生だった頃、コンクールでの成功がピアニストとしてスタートする唯一の道でしたが、そういう方向には限界があると感じて、演奏活動を始めました。私はすばらしい演奏をしていました。もちろん今でもすばらしいですけれど(笑)。コンクールではなく、演奏活動でピアニストとしてのマーケットを開拓する方向に進もうと考えていたわけです。そのとき、私の頭脳は「yes」と言ったのですが、私の心が突然「no」と言いました。今考えると、まだ私が知らないことがたくさんある、もっと学ばなければいけないということだったのでしょう。そのときよくわからないけれど、「まだダメだ」と私の心が言ったのです。それは、ある衝動とでも言ったらいいのでしょうか。理屈では説明できない何かが私を動かしました。そのとき私はすでに上手に演奏できたのです。でも、もっと上手になれる、もっと音楽的に成長できる、違う方向に発展できると私の心の中の何かが言うのです。それで、自分自身で道を探すことにしました。それで演奏活動をやめて、教えたり、散歩をしたり、大学や音楽院には恵まれない地域から来た生徒たちもたくさんいたので、30人くらいだったでしょうか、彼らを指導したり、録音をしたり…。その頃、私自身はあまり演奏しませんでした。それから、たくさんの本を読みました。文学から豊かな知識を得ることができました。それらの知識は、音楽や芸術を考えるときにとても役立っています。ショパンは彼の作品をどのように弾いたのか、リストはどうだったのか、ベートーヴェンは? と考えるときにも、役立ちます。本を読み、さまざまな音楽を聴いて過ごしたこの時期は、私の人生の大切なフィールドです。

◇ピアノを学んでいる若い学生にとって一番大切なことは何でしょうか?

- 一番大切なことはたくさんありますが、やはり「study」でしょう。学ぶことです。学ぶということは、とてもクリエイティブなプロセスです。残念なことに、これは日本の学生だけのことを言っているわけではありませんが、学生というのは、誰かに問題を解決してもらえると期待しがちです。でも、そんなことはありえません。教授に習ったからといって、問題が解決するわけではありません。教授は何も教えられません。学生が、教授から学ばなければいけないのです。教師は、さまざまな情報の中から学生に必要なものを選んで与え、進む道筋を指し示すだけです。それを学生は自分自身で理解して、自分に必要なものを身につけていくのです。学ぶことはクリエイティブなプロセスでなければいけません。ときどき思うのですが、学生は教授を「教会」か「寺院」のように思っていることがあります。そこに行って、神に祈って…、祈られた神はいい気分でブラボーと言う。それではだめです。教授は「巨大な図書館」でなければいけません。あるいは、多くの経験や知識を与えてくれるところ。図書館に行って、あなたが必要な本を探す。どうしてその本が必要なのかを自分で考えて探す。ただ図書館に行ってただ「本を貸してください」と言うのではなく、どんな本が自分にとって必要なのか考えて探すのです。百科事典を借りるのではなく、本当に自分にとって必要な本をそして、その本の中からさらに自分に必要なエッセンスを汲み取らなくてはいけません。学生に言いたいのは、クリエイティブな学び方をしてほしいということです。一生学び続けるという意味では、私自身も学生です。いつでも、どこでも学べます。待つ必要はありません。私はピアニスティックな問題を10分間で解決できることがあります。アプローチを変えてみようと、ふと思いつくのです。そういうことは、いつもどこにでもあります。ですから、私は学生にアドヴァイスしたいと思います。アクティブに学び、アクティブに自身の運命を切り拓いてほしいと。教師は、グラスに水を注ぐボトルではなく、泉にならなくてはいけません。グラスは水がいっぱいになったらあふれてしまいます。泉から水があふれ、美しい川に流れ込むような教え方をしなければいけない、それが教師の務めだと思います。
 優秀な学生は、教師のところに来たときにすでに自分に何が必要なのかわかっています。だからこそ、最も優秀な学生は、私は教師から何も学んだことはないと言うのです(笑)。彼らはすでに感覚的にわかっているのです。教師はそれを確認してあげるだけです。私自身も、誰かに何かを教えられたと思ったことはありません。それは理解と言っていいかもしれません。わかりかけているものを理解したいと思うだけなのです。そういうアクティブな願望、何も恐れずにそう望むことが必要なのです。
 多くの教師の教え方は、私の言うところの「negative selection」。生徒に弾かせては、すぐに教師が何か言う。「no」と。「そういうふうに弾いてはいけない」と。そういうふうにいつも悪いところを指摘される教え方で20年間習ったら、せっかくの個性がつぶされてしまいます。いつもどこかが悪いと思い、誰かに直してもらわなければならないと思っているのでは。そういう教え方からは何も生まれません。
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ブログを紹介しても
初めまして。
私のブログの中でケマル・ゲキチ氏を紹介する文を書いておりますが、貴女様のこのインタビューページをもご紹介してもよろしいでしょうか。
ちなみに私もゲキチ氏の演奏を忘れられない一人です。
よろしくお願い申し上げます。
Re: ブログを紹介しても
初めまして!
拙いインタビューだったにもかかわらず、ゲキチ氏は真摯にいろいろ語ってくださいました。どうぞ貴ブログでご紹介ください。10月4日の東京文化会館でのリサイタル~オールリスト名曲プログラム~、楽しみですね。
はじめまして
カザルスホールでのゲキチ氏の演奏に感銘を受けたものです。貴重なインタビューを紹介していただきありがとうございます。インタビュー中で用いている「解釈」と「現象」は原文ではどのような単語を用いているのでしょうか?お手数おかけしますが教えていただけませんでしょうか?よろしくお願いします。
Re: はじめまして
匡さま
コメントありがとうございます。ちょうどベトナムに滞在中だったため、お返事が遅くなりました。「解釈」は「interpretation」、「現象」は「phenomenon」だったと記憶しております。録音をもう一度聞き直す時間がなく、確認できませんが、もしご希望でしたら、録音のCDをお送りすることは可能です。非公開のコメントで、ご住所をお知らせいただければお送りいたします。
演奏会
はじめまして。楽しいインタビューから、ゲキチさんの人柄がしのばれました。今年は、東京は吹奏楽との共演のようで、足を伸ばし奈良の演奏会に行くべきか悩んでいます。今年は、他に演奏会あるのでしょうか、ご存知でいらっしゃいますか。また、ゲキチさんのお名前、ご本人はどのように発音されるのがお好みなのでしょうか、何かおっしゃっていらっしゃいましたか。もし、お答えが分かればさいわいです。では、楽しいインタビューありがとうございました。
リンクをシェアさせてください。
素晴らしいインタヴューをありがとうございます!
リンクをシェアさせていただきたいので、どうかよろしくお願い致します。
ならのコンサートは素晴らしいものでした。天才の思考プロセスを知ることは計り知れない価値があると思います。
どうもありがとうございました。


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