フリーライターの森岡葉のブログです。 大好きな音楽のこと、日々の出会い、楽しかったこと、美味しかったもののことなどを書いていきたいと思います。



   
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プロフィール

jasminium

Author:jasminium
1956年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1975年~76年北京語言学院・北京大学歴史系に留学。音楽ジャーナリスト。2009年第53回ブゾーニ国際ピアノコンクールにプレス審査員として招かれたほか、ハエン国際ピアノコンクール、シドニー国際ピアノコンクール、中国国際ピアノコンクールなどにジャーナリストとして招かれている。著書:『望郷のマズルカ~激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』(ショパン)、『知っているようで知らないエレクトーンおもしろ雑学事典』(共著)(ヤマハミュージックメディア)、訳書:『ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話』(焦元溥著 アルファベータブックス)、『音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 第2巻』(焦元溥著 アルファベータブックス)

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スティーヴン・ハフ

   
 スティーヴン・ハフのリサイタルが、9月24日ヤマハホールで開催されるというので、ブログを更新します。

http://www.yamahaginza.com/public/seminar/view/1904

 ライヴで聴いてみたいなぁと思っていたピアニストなので、とっても楽しみです。333席のヤマハホールで、彼の演奏を聴くというのは、とっても贅沢~

 私が彼を知ったのは、『ピアニストが語る!』(アルファベータ)のシリーズの原作『遊藝黒白』で焦元溥さんのインタビューを読んでからですが、録音などで聴く限りかなり面白いピアニストです。



 というわけで、焦元溥さんのインタビュー、期間限定でこちらに掲載します。これ、早く本にして出版したいのですが、なかなか難しいので…。既刊本、どうぞよろしくお願いいたします

『遊藝黒白』 スティーヴン・ハフ

スティーヴン・ハフ (Stephen Hough, 1961- )

 1961年、英国ウィラル半島の岬の町、ヘスフォール(Heswall)で生まれ、マンチェスター王立ノーザン音楽大学、ニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。1978年、BBC新人演奏家コンクールの最終選考に残り、1982年、テレンス・ジャッド賞(Terence Judd Award)を獲得、1983年、ノームバーグ国際ピアノコンクールで優勝した後、演奏活動に入り、今日に至る。
 世界中の指揮者・オーケストラと協演するとともに、優れた室内楽演奏家としても活躍している。録音も多く、主要作品ばかりでなく珍しい作品の驚くべき表現でも定評があり、様々なディスク大賞を受賞し、CDの売り上げでも注目されている。現代最高のピアニストとして位置づけられているだけでなく、学術研究・作曲面でも多くの業績がある。彼のトランスクリプション作品、オリジナル作品は高く評価され、2007年、神学と音楽活動を関連づけた著作『祈りとしてのバイブル~聖書への手引き~(The Bible as Prayer)』を上梓。2001年、才能豊かな活動が認められ、マッカーサー基金(MacArthur Fellowship)より表彰されている。


(焦元溥): まず最初に、あなたのことを何と呼んだらいいのでしょう? “Hough”は、どのように発音したらいいのですか?

(ハフ): “ha-f”と発音します。“ough”は“tough(タフ)”と同じ発音です。

(焦): それではハフさん、どのようにピアノを学び始めたのかというところから、お話いただけますか?

(ハフ): 6歳のときにピアノを習い始めました。私は幼い頃から音楽に対して強烈な感覚を持っていて、ピアノに触れた瞬間から絶対に離れられないと感じました。そのときに、私の人生は決まったわけです。両親は音楽家ではありませんでしたが、私を応援してくれました。私がピアノを習い始めてから、父はクラシック音楽を鑑賞するようになったんですよ。彼はたくさんのレコードや書籍を買って、ピアノ演奏とピアノ音楽を探究しました。最終的には、あらゆるピアノ作品に精通しただけでなく、演奏スタイルやそれぞれのピアニストの違いも聴き分けられるようになっていました。私は住居の近くのある教師の下で学び始めましたが、真の意味で私に影響を与えた最初の教師は、ヘザー・スレイド=リプキン(Heather Slade-Lipkin)女史でした。彼女は私の家族と親しく、ちょうどマンチェスター王立ノーザン音楽大学で学んでいて……、その後私が学んだ大学なのですけれど。

(焦): あなたはその後、ゴードン・グリーン(Gordon Green, 1905-1981 )、デリック・ウィンダム(Derrick Wyndham)に師事していますが、彼らの指導についてお話いただけますか?

(ハフ): 彼らはまったく違いました。グリーンは、典型的なイギリスのインテリで、明るくおおらかな個性と生き生きとしたユーモアを持った人物でした。いつもパイプを燻らせて笑いながら語り、心ゆくまでビールを痛飲して……。グリーンの指導は、とても自由でした。彼の政治的な立場もリベラルで、左翼的でした。10歳のときに彼に師事したんですが、私は彼が受け入れた一番小さな生徒でした。私が彼の言うことを理解できないのではないかと心配し、両親のどちらかが必ずレッスンに付き添うことが条件でした。グリーンは、“有機的”な教育をする人でした。つまり、農夫が馬鈴薯を自然に育てるように……、肥料をたくさん与えて苗を無理やり大きくしようとはしませんでした。彼は生徒が自然に成長し、自分自身で音楽が考えられるようになるのを待ちました。今の私がどう弾けるかではなく、10年後の私の演奏と音楽がどうなっているかが大事なんだと、いつも言っていました。年齢を重ねれば重ねるほど、グリーンの指導の素晴らしさを実感しますね。現在多くの教師が生徒たちを教えるとき、スポーツのトレーニングのようにテクニックを鍛え、細部に至るまで完璧に弾くことを求めます。スポーツの試合ならば、そのような指導でいいのかもしれませんが、音楽というものには、点数を付けられません。多くの“完璧な演奏”からは、演奏者の個性や、その人が何を考えて音楽をつくっているかが見えてきません。彼らの音楽は、すべて先生に習ったものだけなのです。常に生徒自身に考えさせる教育をしていないと、自身の音楽的な主張を発展させることのできないピアニストになってしまいます。私は幸運なことに、人格を形成する大切な時期に自由で進歩的なグリーンという教師に出会い、彼の教え方は自然に任せるままだったので、私は自分自身を発見することができました。

(焦): 多くのコンクールが、本当に教師たちのコンクールになっていますよね。私が第12回チャイコフスキーコンクールを聴きに行ったとき、第1次予選で、3人のコンテスタントがまったく同じフレージングと速度でベートーヴェンの『熱情』ソナタを弾きました。調べてみると、彼らは同じ先生の生徒でした。グリーンという人は、自身の名誉にはこだわらなかったのでしょうか? 生徒が頭角を現せば、先生も有名になります。彼は生徒がコンクールで賞を獲ることには関心がなかったのでしょうか?

(ハフ): グリーンは虚名を求めない人でした。彼はただ、生徒が自身の考えや個性を演奏で表現できるかどうかにしか興味がありませんでした。それに、彼はコンクールをとても嫌っていて、私があるコンクールに出たいと言っただけで、怒り狂ったこともあります。賞を獲るために、多くのコンテスタントは、どう弾いたら審査員に気に入られるか、どのようなプログラムが効果的かということばかり考え、自身の音楽、芸術家としてどのように成長すべきかは考えていません。そのせいか、最近のピアニストの音色には個性が感じられず、音楽表現にも主張がありません。それは、彼らの先生のエゴに責任があるように思います。グリーンは私に、コンサートに行ったり、美術館に行ったり、本を読んでいろいろ考え、成熟した音楽家、健全な人間になるよう導いてくれました。コンクールに参加するということは、人格の発展を阻害し、音楽を学ぶことの意味や人生の正しく進むべき方向を誤らせる恐れがあります。私はグリーンのもとで17歳まで学びました。彼の健康状態が悪くなり、とうとう亡くなってしまって……。

(焦): それで、ウィンダムのところに行ったのですね。ドノホーが言っていたのですが、ウィンダムはポーランド人なのに、第2次世界大戦以後イギリスに定住し、名前も変えたのだそうですね?

(ハフ): それは、ひとつの謎なのです。ウィンダムはとても恥ずかしがり屋で内向的で、神秘的なピアニストでした。誰も彼の過去を知りません。彼は第2次世界大戦前にピアニストとして活躍し、17歳でレコードを出し、多くのコンサートを開いていました。第2次世界大戦以後、人間が変わって……、医師にもう演奏できないと言われたようです。強制収容所に入れられたとか、ホロコーストを受けたとか聞きましたが、本当のところはわかりません。彼自身は貝のように口を閉ざしていました。あるとき彼を訪ねて楽しくおしゃべりしていて、彼の過去に何があったのか尋ねてみましたが、やはり何も漏らそうとはしませんでした。私が思うには、戦争中によほど辛いことがあって、そこから立ち直ることができず、すべてを忘れ去りたかったのではないでしょうか。

(焦): あなたはウィンダムから何を学んだのでしょうか?

(ハフ): グリーンは私に大きな自由を与えてくれましたが、技巧的にはあまり厳しくありませんでした。グリーンのもとを離れる頃、私は技巧面での問題を抱えていました。こう弾きたいと思っても、それを実現する道具、スキルが足りなかったのです。ウィンダムは、その部分を補ってくれました。彼は技巧に関して厳格で、ほんの少しもいいかげんに誤摩化して弾くことは許しませんでした。彼は生徒に、鍵盤上での手指の移動についてよく考えるように要求し、それによって自分に最も適した演奏スタイルを探し出せるよう導いてくれました。それは、演奏の際のミスを最小限にし、ひとつひとつの音の完璧な美しさを引き出す指導でした。技巧的に成長すべきときに、ウィンダムに出会ったことに感謝しています。彼は私に、自身の音楽を表現するための最適な技巧を見出させてくれました。

(焦): あなたは19歳のときにジュリアード音楽院に入って、アデル・マーカス(Adel Marcus, 1906-1995)女史に師事したのですよね。

(ハフ): ジュリアードでは多くのすばらしい友人を得ましたが、学ぶ環境としてはあまり好きになれませんでした。マーカスのレッスンにも、限界がありました。彼女は自身の見解に固執し、狭量な教え方しかできなかったのです。私は彼女にロシアの一連のロマンティックな作品を学びたいと考えたのですが、彼女はほかの作品も、同様の“重厚なロマン主義”を応用して教えようし、どの作曲家もすべて同じようになってしまいました。私は彼女の見解や指導に同意できず、現在は彼女の教えをすべて忘れています。マーカスは楽曲の中に黒と白しか見出さず、きわめて明確な解釈をしました。しかし、この世の中に黒と白しかないなんてことはありえません。たくさんの“朦朧とした光と影”があるからこそ、私たちはそれを探求しようとするのです。音楽の表現は、悲しくなければ嬉しいというわけではなく、あらゆる感情が入り混じり、曖昧模糊としているからこそおもしろいのです。作曲家は言葉ではなく音楽で、人間の感情の機微を表現しています。シューベルトの音楽が、まさにそうですね。それこそが、音楽のもっとも繊細な芸術的価値だと思うのです。“言葉がなくなったところから音楽が始まる”というのは、人間の微妙な情感を表現するには言語だけでは無理で、だからこそ芸術家たちが音楽でそれを語ろうとするのです。

(焦): あなたは19歳でジュリアードに入り、21歳のときにニューヨーク・ノームバーグ国際ピアノコンクールで優勝して演奏家としての人生をスタートしましたが、そのようなご自身の経歴をふりかえって、今どのようにお考えですか?

(ハフ): 現在、多くの音楽学校は学生が一生懸命練習して、コンクールに参加し、賞を獲って有名になることを期待していますよね。はっきり言わせてもらえば、それは大きな間違いです。学生が学校に入るのは、教育を受けるためで、コンクールに参加するためではありません。よい音楽教育を受けずに、コンクールで賞を獲って、何の意味があるのでしょう? 演奏家生活をどうやって長く続けていけるのでしょう? 多くの天才作家が、17、8歳で世間を驚かすような小説を書いた後、どうなったでしょう? 出版社は大喜びで、その後の10作の出版契約を交わしたものの、その作家にそれ以上何が書けるのか? ということなのです。その後の小説で、何が表現できるのでしょう? 彼が何を考え、それをどのように表現したいかということが、もっとも大切なのです。一過性のスターが出現しても、後には何も残りません。コンクールも、往々にしてそうですね。残念なことに、多くの人がそれに気づいていません。それとも、彼らはただ花が咲くのを見たいだけなのでしょうか。

(焦): 私もまったく同感です。あれほど多くの人たちがコンクールに汲々としているのに、賞を獲ったからと言って何の成功の保証にもならないのです。コンクールの賞金や演奏会が多いという意味では最高のヴァン・クライバーン国際コンクールの歴代の勝者も、それほど活躍していないのは、本当に残念なことです。

(ハフ): 多くの著名なピアニストが、必ずしもコンクールで名を成してはいないですよね。もちろん、彼らの中には運に恵まれた人もいますが、長くピアニストとして生きていくには、一生をかけて真に音楽と芸術を追求していく覚悟がなければなりません。コンクールは一瞬の栄光と名声を与えますが、そこに至るまでの勉強ができていなければ、その後はなくなります。私が21歳のときにニューヨーク・ノームバーグ国際ピアノコンクールで優勝したときも、まったく思いがけなかったので、慌ててしまいました。当時私は博士課程で学んでいて、25歳くらいからコンクールに参加して、28歳で演奏活動を始められればいいなと思っていたのに、突然、もう学生ではない、すぐにシカゴ交響楽団やフィラデルフィア交響楽団と協演するということになってしまったのですから。幸いなことに、私は何とか演奏して、その後も毎シーズン招いていただいて、その度に新しい曲目を演奏することができました。でも、多くの人はそうではないのです。コンクールで名声を得て、“一回の”すばらしいリサイタルを開いて、その後が続くかどうか……。それ以上のレパートリーがどれだけあるか? 演奏会のオファーにどれだけ応えられるか? 新しい曲目を勉強する時間があるか? そういう根本的な問題をクリアし、しっかり準備ができていなければ、賞を獲ることはかえってマイナスなのです。若いピアニストは、コンクールに参加するとき、自身に“賞を獲って名声を得る準備はできているか?”と問うべきです。

(焦): あなたが受けた教育や経験から考えて、ご自身を“英国ピアノ楽派”に属すると思われますか?

(ハフ): 私の経歴から考えて、私は英国ピアノ楽派の中から生まれたピアニストとは言えないでしょう。ウィンダムはシュナーベルとローゼンタール(Moriz Rosenthal, 1862-1946) に師事しましたが、シュナーベルはレシェティツキの弟子、ローゼンタールはリストの弟子ですから、ツェルニー以降のヨーロッパの楽派の流れを汲んでいます。グリーンはペトリ(Egon Petri, 1881-1962) に師事しましたが、ペトリはブゾーニの弟子ですから、やはりヨーロッパの伝統に属します。私は真の意味での“英国ピアノ楽派”というものが存在するとは思いませんが、もし存在するとしたら、イギリスのピアニストはそれぞれの作曲家の作品を自由に解釈するところに特色があると言っていいでしょう。

(焦): ロンドンは長い間、舞台芸術の中心都市でした。ショパンも多くのすばらしいコンサートをロンドンで開いていますし、イギリス製のピアノは19世紀にきわめて重要な役割を果たしました。あれほど豊かな舞台芸術とピアノ製造の歴史があるにもかかわらず、何故イギリスには特徴のあるピアノ演奏楽派が育たなかったのでしょうか?

(ハフ): たしかにイギリスはすばらしいピアノを生産し、舞台芸術の中心でしたが、それはただ国力と富の結果に過ぎず、音楽そのものとはあまり関係がありません。19世紀のイギリスは、産業革命以降の工業の発展を維持し、それがピアノ製造の分野にも及びました。今日の自動車製造業と同じです。大英帝国の財力が芸術家たちを呼び寄せ、演奏会が開かれていたのです。それは、国力と富の表れに過ぎず、演奏楽派を形成する素地にはなりませんでした。

(焦): だから、20世紀になるまでイギリスから傑出した作曲家が出なかったのですね。

(ハフ): 楽派というものが形成される鍵は、作曲家にあると思います。フレンチピアニズム(フランスピアノ楽派)、ロシアンピアニズム(ロシアピアノ楽派)は、作曲家とピアニストの相互関係によって形成されました。言うまでもなく、多くの傑出した作曲家自身が、偉大なピアニストでもありました。イギリスには、その点が欠けています。20世紀に入るまで、イギリスにはそれほど大した作曲家は現れていません。パーセル(Henry Purcell, 1659-1695) の後、やっとエルガー(Edward Elgar, 1857-1934)が出ましたが、それでは“楽派”など生まれませんよね。 ひとつ注目してほしいのは、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan-Williams, 1872-1958)、エルガーなど、20世紀までのイギリスの作曲家の多くが教会出身だということです。彼らはパイプオルガンに精通していましたから、パイプオルガンの響きや音色をピアノ音楽の中に反映しました。それから、アメリカが台頭するまで、イギリスは移民の重要な受け入れ先でした。移民が多かったのは、植民地の影響ですが、その結果、イギリスに多種多様の文化がもたらされ、開放的でコスモポリタンな芸術的環境が生まれました。そのため、イギリスに固有の演奏楽派が形成されなかったのかもしれません。イギリスのピアニストに相通じたスタイルや特徴がないわけではありませんが、それぞれの違いは、やはり大きいですね。これは、ブゾーニ、ミケランジェリ、ポリーニの違いに似ているかもしれません。彼らに共通するのは、ある種の冷静で高度に研ぎ澄まされたテクニックと演奏スタイルですが、彼らが同じ楽派に属しているとは言えませんよね。

(焦): 20世紀に入って、イギリスも頭角を現し始めました。20世紀前半には、すばらしいピアニストを輩出しています。これについて、どのようにお考えですか?

(ハフ): あなたが言っているのは、トバイアス・マティ(Tobias Matthay, 1858-1945) から始まった一連の現象についてのことですね。彼は、たしかに英国ピアノ楽派の創始者と言っていいでしょう。1900年に彼はピアノの学校を創設し、彼の教育法を広め、クリフォード・カーゾン、モーラ・リンパニー、マイラ・ヘス、アイリーン・ジョイスなどのピアニストを育てました。私が興味深く思うのは、マティはユダヤ人で、カーゾンやヘスもユダヤ人、神童ソロモンもユダヤ人だということです。彼らのユダヤ人出身という背景には、生まれた地域を超越した宇宙観があり、ユダヤ文化の中にイギリスが失った伝統や深遠な音楽を表現しているように思えるのです。たとえば、マイラ・ヘスの演奏は、とてもドイツ的です。もちろん、楽派という観点からだけで、ピアニストの演奏スタイルを説明することはできませんが、リヒテルの演奏も、ロシアピアノ楽派に属するとは言えませんよね。

(焦): リンパニーはつい最近亡くなりましたが(2005年3月28日)、彼女にはどのような印象をお持ちですか?

(ハフ): 彼女はすばらしいピアニストで、穏やかで優しい人でした。残念なことに、直接会ったことはありませんが……。モンテカルロで演奏会を開いたとき、ちょうど彼女がそこにいることを知り、会う約束をしたのです。でも、リハーサルの後、私は体調が悪くなって、彼女に電話をして約束をキャンセルしました。そのときの彼女の答えは、とてもおもしろかったんですよ。私がメンデルスゾーンの『ピアノ協奏曲第1番』を弾くと言うと、「私も弾いたことがあるけれど、あの曲の副作用は頭痛だから、よく休んだほうがいいわ! 」って答えたんです。それから、私があるインタビューで彼女を称賛したことに対し、心から感謝していると言ってくれました。本当に、謙虚で温かな人柄の名演奏家でした。

(焦): ハハハ! リンパニーが12歳でデビューしたときの作品が、メンデルスゾーン『ピアノ協奏曲第1番』でしたね。そのときの恐怖を思い出したのでしょう! 先ほど、ピアノ製造についての話が出ましたが、あなたはピアノという楽器について研究していらっしゃるようですが、現代のピアノにはどのようなご意見をお持ちでしょうか?

(ハフ): はっきり言って、もの凄く失望しています。現代のピアノの製造技術は精巧で、音色も清潔で美しいですが、個性に欠けています。まるでコンピューターのようで、芸術品ではありません。昔のよい楽器には、それぞれ独特の個性があり、ピアニストに自分だけのフレージングを表現させようと刺激していました。昔のベヒシュタインやスタインウェイを懐かしく思います。現在のピアノのアクションは重く、音色は直接的過ぎて、ピアニストが鍵盤の上でイマジネーションの世界を繰り広げることはできなくなっています。

(焦): あなたは、どんなピアノを弾いているのですか?

(ハフ): 今の時代では、やはりスタインウェイでしょう。平均的に言って、アメリカのスタインウェイは、ドイツのスタィンウェイとは比べ物になりませんね。でも、アメリカのスタインウェイの中にも僅かにずば抜けたピアノがあって、私はその中で一番いいものを使っています。ニューヨークとロンドンに、1台ずつスタインウェイを持っていますが、ロンドンではそのほかにファツィオリ(Fazioli) を買い、ニューヨークではボストンのチッカリング(Chickering) も買いました。このチッカリングは、昔日の輝かしい時代のピアノの音色を持っていて、世界で一番すばらしい楽器だと思っています。幸いなことに、私の調律技術者がこのピアノを最高の状態に調整してくれました。私は、このピアノをeBayで落札したんですよ!

(焦): 洗練された完璧な技巧だけでなく、あなたの演奏が人々を敬服させるのは、それぞれの作曲家の作品をおおらかに、そして深く解釈しているところです。あなたのラフマニノフを聴いていると、あなたをロシア音楽の権威だと感じ、シューベルトやブラームスを聴いていると、ドイツ・オーストリア音楽の専門家だと感じ、フランス音楽を聴いていると、あなたこそがフランス音楽のマエストロだと思えるのです。そして、イギリスの作曲家の演奏に関しては、あなたの右に出る者はいません。あなたがどのように現代作品にアプローチしているのか、とても興味があります。とくに、あなたは珍しい作品の演奏で有名です。

(ハフ): 私はそれぞれの作曲家にはそれぞれの解釈と演奏が必要だと考えていますが、もっとも大切なことは彼らの作品を詳細に研究することです。演奏家は、作曲家が指し示す方向に従って彼らの個性や考え方を読み取らなければなりません。ひとつの作品だけではわからず、10曲弾き、さらに100曲弾いて、やっとその作曲家のイメージがつかめるのではないでしょうか。たとえば、ベートーヴェンが楽譜上で指示したものは、リストとはまったく違います。ベートーヴェン作品の感情表現や強弱の指示はきわめて重要で、絶対に厳粛に尊重して演奏しなければいけません。彼の創作は、緻密な構想によって構築されていて、演奏家は勝手に彼の指示を変えることはできません。彼は全身全霊を尽くして、細部の表現に至るまで指示しなければ全体の構造の秩序を失うと考えていたのですから。リストの指示はベートーヴェンとは違います。彼の多くの作品は、即興的な演奏の中から生まれています。『ピアノ・ソナタ ロ短調』も、生き生きとした即興演奏から生まれたものでしょう。彼も明確に指示しているのですが、ベートーヴェンほど厳格ではなく、演奏家に自由に解釈する余地を与えています。私たちは、楽譜から作曲家が言いたかったことやその精神を汲み取るしかないのです。たとえばショパンですが、彼の旋律のスタイルには、一生を通じて大きな変化はありませんが、作曲のスタイルは年齢を経るにしたがって体位法的になっています。『ノクターン』は、作品9以降、旋律が主ですが、晩年になるにしたがって、内声の構成が巧妙になり、ショパンが自由自在に対位法を操っていることがわかります。このような作曲技法の発展は、ショパンがバッハやモーツァルトを終生熱愛していたことを物語っています。ショパンの作品がどのように発展したかを理解できれば、彼の音楽の文法を掌握することができ、彼の“古典的なスタイル”をどのように表現したらよいかがわかります。ホフマン(Josef Hofmann, 1876-1957) が演奏するショパンは、柔軟に速度を変化させながら、特定の内声を強調し、まさにショパンの作曲技法の妙を表現しています。彼が強調する内声は、勝手気ままにやっているのではなく、対位法の原則に基づいて、ショパンの作曲技法を考えてやっているのです。

(焦): さまざまな作曲家の作品の演奏解釈についてもお話いただけますか?

(ハフ): ちょうど最近、ある作品の譜読みをし終わったところなんです。私の譜読みの仕方は、楽譜に直接アプローチして、譜読みをしている間は、ほかのピアニストの演奏を聴かないようにしています。誰からも影響されずに、自分自身の視点や解釈を生み出したいと考えているからです。私は長い時間をかけて作品に取り組むのが好きで、コンサートで演奏する1年前くらいからプログラムの作品を探求し始めます。初めて弾く作品については、何段階かに分けて勉強します。第1段階は、まず楽譜を詳細に読んで、指使いを考え、解釈の構想を練って、思考と演奏のバランスに専念します。違う色の鉛筆で、解釈の構想、注意すべき内声、練習方法に至るまで細かく楽譜に書き込み、とにかく一生懸命に練習します。このような準備の方法は、私にとってはとても有効です。その作品について、透徹した理解ができるようになり、自由自在に演奏できるようになって、長年経った後にも楽に弾くことができます。そのような緻密な勉強の後で、第2段階は、作品から離れて、作品への新鮮な気持ちを保つようにします。これは、とても大切なことです。練習も、その曲の最初から最後までを徹底的にさらうのではなく、楽章や部分に分けて練習するようにしています。多くのピアニストの演奏を聴いてよく思うのですが、ソナタ形式などの作品で、提示部の演奏の方が再現部よりいいことが多いのです。何故なら、彼らはいつも曲の最初から練習し、提示部に多くの時間をかけているからです。再現部になると、すでにパッションや情感は失われていて、音楽の素材は同じですから、演奏の質は落ちてしまうのです。作品に対する新鮮な感覚を失わないためには、もうひとつ、いつも違う角度から音楽を考え、演奏と音楽に対する好奇心を持ち続けて、さまざまな問題を解決していかなければいけません。

(焦): あなたはいつも斬新な解釈で作品を演奏し、人々を啓発しています。それは、準備段階で考えた方向性なのでしょうか?

(ハフ): いいえ。それを故意にやっているとしたら、ただ新奇なことをしようとしているに過ぎず、演奏も不自然になってしまうでしょう。私の作品に対する態度は、一番最初に出会ったときの気持ちを忘れず、楽譜に直接アプローチするということに尽きます。現在、多くの学生が作品に取り組むとき、楽譜から何かを読み取って学ぶのではなく、誰かの録音を聴いて学んでいるでしょう? それは間違ったやり方だと思うんです。自分自身の音を聴いて、自然に“新しい”表現を生み出すべきなのです。人間は、それぞれ違うのですから。もしも私が、私の解釈とほかのピアニストの解釈が似ていると感じても、私は自分の解釈を変えません。何故なら、私は誰かの演奏を真似たことはなく、いつも誠実に自身の解釈を表現しているからです。

(焦): それでは、あなたは録音から何を得ているのでしょうか?

(ハフ): 私は1920年代から1930年代のピアニストの演奏を聴くのが好きです。でも、彼らを模範にするわけではなく、あの時代の演奏スタイルに惹かれるのです。私が好きなピアニストは、ラフマニノフ、フリードマン、コルトーなどで、それぞれまったく違いますが、彼らの演奏のフレージング、柔軟なルバートなどに何か共通したものを感じ、彼らの音楽の語法を追求したいと思っています。ラフマニノフの演奏には両極端なところがあり、楽曲を単刀直入に解釈するのではなく、きわめて自由でロマンティックに歌いながら、知性とのバランスがとれていて、私はそれに啓発されています。ラフマニノフの解釈は、ルバートを柔軟に使っても、音楽をすっきりと美しく聴かせることができるのです。それこそが、ラフマニノフのスタイルです! 私が言いたいのは、ラフマニノフの真似をしようというのではなく、彼の演奏スタイルから学ぶべきことがたくさんあるということです。

(焦): あなたのラフマニノフの『ピアノ協奏曲全集』は実にすばらしく、とくに『ピアノ協奏曲第3番』は、作曲家の精神に深く迫る名演だと思います。速度も、ホロヴィッツの全盛期を上回っていますよね!

(ハフ): ラフマニノフは、速く弾くのを好んだと思うので、その点を私の演奏で表現したいと思いました。彼の速さは、ただ機械的な速さではなく、ある明確な方向性を持っていて、音楽を常に前に向かって推し進めていく力だったのです。私はそういうスタイルが大好きで、自然にそういう演奏になってしまうんです。

(焦): それでは、あなたの考え方に合わない演奏については、どのように見ていらっしゃいますか?

(ハフ): 偉大な芸術家にはそれぞれ独自の見解があり、それに基づいて演奏しているわけです。私は自身の見解と解釈に自信を持っていますが、私の考えとはまったく違う演奏をする人もいます。私が好きになれない解釈もありますが、やはりそれもすばらしい演奏だと認めざるを得ません。リヒテルがよい例です。彼の演奏は私の解釈とはまったく違いますが、私は彼の演奏が大好きです!

(焦): 演奏の伝統や楽派について、どのようにお考えですか?

(ハフ): 私は楽譜や作曲家をとても尊重しています。楽譜上に指示されたことから離れて、自分の考えを表現しようと思ったことはありません。もしも私が、楽譜上に書かれた要求と違う演奏をしたら、それは慎重に考え抜いた結果だと思ってください。私は、伝統というものは必要だと思いますが、大切なのはバランスで、演奏家はやはり楽譜をもっとも大切にしなければいけません。私自身、少し作曲もするので、どのように楽譜を書いても、自身の真の意図を伝えるのは難しいと痛感しています。心血を注いで書き込んだことも、演奏者に一顧だにされないこともあるのです。例を挙げると、ラヴェルの解釈は、現在では多くがロマンティック過ぎる傾向にありますが、ラヴェル自身は、ルバートを嫌っていました。『夜のギャスパール』の中の『オンディーヌ』は、もちろんとてもロマンティックで優美な作品ですが、多くの人があまりにも“ロマンティックに”演奏します。ラヴェルの指示に忠実に従うのなら、最小限のルバートで、あの曲の和声や旋律の美しさを表現し、冷静にさまざまな感情の交錯を表現しなければいけません。そのような演奏こそ、聴衆の心を動かし、感傷的になり過ぎず、安っぽい感情表現を避けることができるのです。

(焦): 伝統と楽譜の間に矛盾が生じた場合は、どのように取捨選択するのですか?

(ハフ): 場合によりますね。伝統というのは、停滞して前に進まないという意味ではなく、時代とともに常に発展すべきものです。だからこそ、作曲家はしばしば自身の作品に大幅な改訂を加えたりするのです。ストラヴィンスキーが、晩年になって『火の鳥(Firebird)』や『ペトルーシュカ(Petrouchka)』を再出版したのがよい例です。私も固定観念にとらわれず、常に自身の演奏に満足せず反省する能力を持ち続けたいと思っています。伝統が私を説得できないときは、私はためらわずにそれを捨てるでしょう。ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第3番』の第3楽章の終わりには、作曲家自身が書いた“Vivacissimo”という指示があり、それを見れば誰もがより速く弾かなければならないことはわかりきっています。作曲家自身も速く弾いていますし、作曲家がホロヴィッツの速い演奏を好んだことでもわかります。それなのに、最近、どういうわけか遅く弾くようになっています。私は絶対に速く弾くようにしていますが、そのために指揮者やオーケストラと上手くいかないことがよくあります。彼らが、私が弾く速度に慣れていないためです。楽譜にちゃんと書いてあるのに! リストの『ピアノソナタロ短調』の171小節目もそうです。多くの人が、アッチェルランド(だんだん速く)気味に弾きますが、そんな指示はどこにも書いてないばかりか、ア・テンポ(もとの速さで)と書いてあるのです。どうして皆がそのように弾くのか、まったくわかりません。私自身も、以前この曲を練習しているときに、リストの指示に納得できず、一般的な演奏に従って弾いていたのですが、その後、深く楽譜を読んで考えた末に、リストの指示に道理があることに気づきました。探求の過程で、もがき苦しむこともありますが、音楽の道理の前では、絶対に自分の考えを曲げたり、人の言うことを受け売りしたりしてはいけないのです。

(焦): あなたの録音は、あなたの多彩な才能を物語っています。その質と量には、敬服せざるをえません。録音の計画は、いつもどのように立てているのですか?

(ハフ): 私の録音は、その作品で自分自身が何か強く主張したいことがあるかどうかで決まります。ショパンの『バラード』とフランクのピアノ作品集などもそうですね。近いうちにスペイン音楽に取り組む予定です。スペインの作曲家の作品だけでなく、スペイン以外の作曲家の作品も取り上げます。たとえばラヴェルやドビュッシーも、スペインを題材にした作品を書いていますよね。それらを研究して、録音したいと考えています。シューマンやシューベルトのピアノ作品、モーツァルトのピアノ協奏曲も、もっと録音したいですね。ショパンの『ワルツ』とチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲』も、私の録音計画に入っています。

(焦): ご自身の作品はいかがですか? あなたは、とても素敵なピアノ作品の数々を出版しています。『Suite Osmanthas (金木犀組曲)』、『Valse Enigmatique (謎のワルツ)』、『etude de Concert (演奏会用練習曲)』などの傑作がありますよね。

(ハフ): この数年、かなり多くの作品を書いています。どちらかと言えば、ピアノ以外の作品を書くほうが好きです。ピアノの語法をあまりにもよく知っているので、作品が自分の考えに近くなり過ぎて、かえって難しいんです。最近、『ファゴット協奏曲』と『児童合唱団のための3つの小品』を書きましたが、気に入っていただけるとうれしいです。2007年3月には、友人のスティーヴン・イッサーリス(Steven Isserlis, 1958- )のために書いた『チェロ協奏曲』の初演の指揮をします。大規模なミサ曲も、もうすぐ書き上げます。演奏家は、自分で作曲をしてみるといいと思います。必ずしも作曲家になるとか、それを人前で演奏するというのではなく、作曲を経験してみることで、どうやったら自分の想いを音楽で表現できるかを考え、作曲家の思考のパターンを理解できるようになりますから。

(焦): 編曲作品(トランスクリプション)についても、あなたは20世紀後半のもっとも傑出した演奏家のひとりです。いつ頃から始めたのですか?

(ハフ): 私が幼い頃、両親が1枚の編曲作品のレコードを与えてくれたんです。それで、小さい頃から編曲作品に興味を持っていて、アンコール曲として効果的に使う知識もありました。私が自分で編曲した最初の作品は、ロジャー・クィルター(Roger Quilter, 1877-1953) の『The Crimson Petal (深紅の花びら)』で、私を後援してくれている優しい女性に捧げました。その後、私は『The King and I (王様と私)』の制作に加わり、『March of the Siamese Children (シャムの子どもたちの行進)』が大好きになって、ピアノ曲に編曲しました。このトランスクリプションが、多くの人に愛されたので、続けて『My Favorite Things (私のお気に入り)』の編曲も手がけました。そうやって毎年続けているうちに、いつの間にかこんなにたくさんのトランスクリプションを書いていたんです。台湾の民謡『望春風 (Pining for the Spring )』もありますよ!

(焦): どういう曲をトランスクリプションの題材にしようと思うのですか?

(ハフ): 簡単には言えませんね。私が編曲するのは、そのときに純粋に興味を持った作品で、こういう一連の作品を編曲しようと思っているわけではないのです。最近編曲したのは、レオ・ドリーブ(Leo Delibes, 1836-1891 ) のバレエ音楽『Sylvia (シルヴィア)』の中の『Pizzicati』で、これはただおもしろいと思って編曲し、聴衆もいつも笑って楽しんでくれるので、うれしく思っています。

(焦): それでは、どのような題材が編曲に向いていると思われますか?

(ハフ): 基本的にもっとも重要な要素は、和声が簡単だということです。和声が簡単であればあるほど、編曲者に自由が与えられます。とくに和声を変化させることができるので、おもしろいですね。リストの『フィガロの結婚の主題による幻想曲 (Fantasie uber zwei Motive aus Mozart’s Lemozze di Figaro)』が、そのよい例です。モーツァルトの『フィガロの結婚 (Le Nozze di Figaro)』の中の美しい旋律は数えきれないのですが、リストは敢えて和声がもっとも単純な『もう飛ぶまいぞ、この蝶々 (Non Piu Andrai)』と『恋とはどんなものかしら (Voi Che Sapete)』を取り上げて、複雑で華やかなトランスクリプションに仕上げています。ゴドフスキーが編曲したアルベニスの『タンゴ』も、そうですね。原曲の和声はあまり複雑でないにもかかわらず、ゴドフスキーの編曲は、鮮烈な技巧で象眼細工のような美しい内声を散りばめ、和声を精妙に変化させて、原曲に内在する魅力を豊かに引き出し、オリジナリティあふれる音楽をつくり出しています。

(焦): あなたの編曲は、きわめて多くの声部の旋律を生かしていると思います。簡単な素材を使って……、たとえばロジャー・クィルターの『The Fuchsia Tree (フクシャの木)』、あなたは巧妙に主旋律をこだまのようにカノンで重ねています。『私のお気に入り』も、多声部の旋律の絡み合いがすばらしく、ゴドフスキーの技法に通じるものを感じます。

(ハフ): ゴドフスキーの編曲は、本当に凄いと思います。多くの旋律を重ねて、華やかさの頂点を極めています。しかし、私は編曲作品をそれほど繁雑なものにはしたくないのです。ゴドフスキーは勤勉ですばらしい技巧を持った巨匠でしたが……、家の居間がすでに美しい調度で飾られ、調和がとれているのに、さらに柱の1本1本をねじって絢爛豪華な絵を描くようなところがありました。超絶技巧を駆使したすばらしい編曲であるにもかかわらず、それがかえって聴く人の目をくらませてしまっているような。

(焦): リストやブゾーニはどうですか?

(ハフ): 彼らは、もちろん偉大な編曲家です。ブゾーニは音色や響きに対して独創的な見解を持っていましたし、リストはもっとも偉大なトランスクリプションの作曲家だと言っていいと思います。彼らはピアノという楽器の能力を完全に掌握したすばらしい作曲家で、ピアノ演奏の可能性を最大限に引き出す精巧な編曲作品を生み出しました。

(焦): ブゾーニはリストが編曲した作品に手を加えたり、違う編曲をしたりしていますよね。『パガニーニ大練習曲 (Grand Paganini etude)』や『フィガロの結婚の主題による変奏曲』のように。これらの作品は、聴くのも難しいですが、楽譜を見るとさらに難しく……、それなのに、何故多くのピアニストが、ブゾーニが整理した校訂譜は原曲より簡単だと言うのでしょう?

(ハフ): そこが、ブゾーニの凄いところなんですよ。ブゾーニは独創的な和声を駆使して新鮮な響きの効果を生み出すために、技巧も工夫しました。それで、聴いたときに華やかで、ピアニストにとっても自然で弾きやすい楽譜を書いたのです。作曲家の編曲技術は、経験と演奏効果の理解を深めることで磨かれていきます。『フィガロの結婚の主題による変奏曲』を例にとると、リストの原譜が最近公開されて議論を呼んでいます。結尾の部分が未完成で、そのほかの部分もかなり変わった技巧を誇示しています。両手による3度進行など、わけがわかりません。音楽の構造も狂っているとしか言いようがなく、『ドン・ジョバンニ』の旋律が突然はるか遠くの空から降って来たり……。どう弾いたらいいかわからないほど難しいですが、どんなにすばらしく演奏できたとしても、あまり聴き映えはしないでしょう。それで、リストも最後まで編曲しなかったのかもしれませんね。

(焦): ホロヴィッツの編曲は、どうでしょう? 最近、彼のトランスクリプションを弾くのが流行っていますが。

(ハフ): ホロヴィッツは、私がもっとも尊敬するピアニストのひとりです。彼のトランスクリプションも大好きなんですが、私には弾くことができません。彼のトランスクリプションは、彼自身の演奏がそれをもっともすばらしく表現しているからです。それらの作品には、ホロヴィッツの魂が宿っていると感じられ、彼にしか演奏できないと思うんです。私たちは皆、自分自身で編曲すべきで、そうでなければ、それほど“個人化”されていないトランスクリプションを弾くべきです。何故だかわからないのですが、ホロヴィッツとジャズ・ピアニストのアート・テイタム(Artar Tatum, 1909-1956) の編曲に、同じような特別な感覚を持っています。

(焦): 誰もが、それぞれの時間の使い方をしていると思うのですが、あなたはどのようにご自身の時間を管理しているのでしょうか? 作曲、編曲、ピアノの練習、執筆、楽譜の校訂、さらに世界各地での演奏……、学識も深く広く、さまざまな書物を読み、緻密に研究した膨大なレパートリーを持っています。どうしたら、そんなことが可能なのでしょう?

(ハフ): 旅先のホテルで曲を書くこともあります。コンピューターを持ち歩くようになって、作曲をするのが楽になりましたね。読書は、旅行中の心の糧です。時間というものは、うまく使わなければいけません。コルトーのことを思い出してください。彼も、私の尊敬する巨匠のひとりですが、指揮、ピアノ演奏、編曲、著述、講義など、実にさまざまな活動をして、とうとう自分の学校まで作ったんですよ!

(焦): 世界各地を演奏旅行するのは疲れませんか? 創作意欲を保つのは大変ではないでしょうか?

(ハフ): 演奏家があまりにも厳しいスケジュールで演奏旅行に奔走するのはよくないと思います。でも、私たちの世代の音楽家は、昔の音楽家に比べてはるかによい条件が与えられていると思いますよ。リストは、会場にコンサート用のグランドピアノがなかったため、小さなアップライトピアノで演奏会をしたことがあるそうです。ベルリオーズ(Hector Berlioz, 1803-1869) のロシアへの演奏旅行は、まったく災難としか言いようがなかったようです。馬車に3週間も揺られ、窓からは雪や風が吹き込み、何度も車輪が道の窪みに落ちて動けなくなったり……、艱難辛苦の末に辿り着いたにもかかわらず、ベルリオーズは生き生きと指揮をして、旅の疲れなど少しも感じさせなかったそうです。先輩音楽家たちの苦労を考えれば、私など大したことありません。演奏家の中には、つまらない理由で演奏会をキャンセルする人がいますが、チェルカスキー(Shura Cherkassky, 1909-1995 )は、一生のうちにただ一度だけ、肘を傷めたときにキャンセルしただけでした。彼は演奏することを心から愛し、生涯現役を貫き、誰が何と言おうと聴衆との約束を果たしました。

(焦): ピアニストが自身に要求することは、その人によって違いますが、オーケストラはそうはいきません。現在、多くのオーケストラには労働組合があり、権利や利益を要求していますが、わずかなお金の違いにこだわっているに過ぎません。

(ハフ): 奇妙な労働組合の規定があるオーケストラも多いですね。たとえば、録音のときは、40分演奏したら20分休憩をとらなければならないというような……。それによって、録音の過程が途切れ途切れになってしまうんです。団員は時計ばかり見ていて、1秒でも長く演奏すると抗議するのではないかと思うほどです。これには本当に腹が立ちますね。ある演奏会でコンチェルトを演奏したとき、指揮者が繰り返し「アンコールを弾いてはいけない」と言うのです。どうしてかと思ったら、その日のプログラムはとても長く、もしアンコールを演奏すると、団員たちに時間外手当を3000ドルも払わなくてはならないからでした。あるオーケストラの労働組合の規定など、まるで王様のような待遇を要求しています。演奏旅行のときはどういうクラスのホテルに泊まらなければならないとか、甚だしい場合は、どういうお酒を用意しなければならないということまで……。そんな贅沢な規定では、莫大な費用がかかってしまうので、結局、巡回公演はできないということになるのです。巡回公演ができなければ、楽団の財源に問題が生じ、破産という結末になり、団員たちは自活しなければならなくなります。音楽家にも福利が保障されるべきですが、何が“福利”なのか、音楽は自身ではっきりさせなければいけませんね。

(焦): 最後に、あなたの音楽観と人生観をうかがいたいと思います。

(ハフ): 難しい質問ですね。私にも明確な答えは見つかっていないのです。ひとりの音楽家、ピアニストとしてやるべきことは、ステージで演奏することです。輝かしい技巧を誇示するためではなく、音楽を聴衆と分かち合うために……。私は聴衆と意志を疎通できるという自信があるからこそ、演奏するのです。何故、聴衆と意志を疎通しなければならないのでしょう? 何故私たちは、美、芸術、魂の交流を必要としているのでしょう? 何故私たちは、自分の心の中を他人と分かち合いたいと思うのでしょう? それを追求すればするほど、金儲けとは激しく矛盾しますよね。誰もが感動を共有することのすばらしさ、芸術や人生の価値を探求することの意味を知れば、世界はもっと美しく平和になるに違いありません。

(2004年/ニューヨークに於いて・2005年/ロンドンに於いて)

【自薦の録音】
1. Rachmaninoff : Complete Piano Concerti with Litton / Dallas Symphony Orchestra (Hyperion CDA 67501/2)
2. Hummel : Piano Concerti with Thomson / English Chamber Orchestra (Chandos CHAN 8507)
3. Frank : Piano Music (Hyperion CDA 66918)





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傅雷と傅聪
初めまして、現在大学4年生の筒井と申します。

記事の内容とは異なりますが、卒業論文で『傅雷家书』を扱っていまして、『望郷のマズルカ』も勿論読ませていただきました。

とても素敵な本で、ぜひともお礼を申し上げたくここに書かせていただきました。

原文と睨めっこしながらも、素晴らしい論文を書きたいと思います。
内容の無いコメントになってしまい、大変申し訳ありません。

失礼致します。


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