フリーライターの森岡葉のブログです。 大好きな音楽のこと、日々の出会い、楽しかったこと、美味しかったもののことなどを書いていきたいと思います。



   
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プロフィール

jasminium

Author:jasminium
1956年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1975年~76年北京語言学院・北京大学歴史系に留学。音楽ジャーナリスト。2009年第53回ブゾーニ国際ピアノコンクールにプレス審査員として招かれたほか、ハエン国際ピアノコンクール、シドニー国際ピアノコンクール、中国国際ピアノコンクールなどにジャーナリストとして招かれている。著書:『望郷のマズルカ~激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン』(ショパン)、『知っているようで知らないエレクトーンおもしろ雑学事典』(共著)(ヤマハミュージックメディア)、訳書:『ピアニストが語る! 現代の世界的ピアニストたちとの対話』(焦元溥著 アルファベータブックス)、『音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 第2巻』(焦元溥著 アルファベータブックス)

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12月14日ポゴレリチ東京公演

   
 12月14日、《ピアニストが語る! ~現代の世界的ピアニストたちとの対話~》(アルファベータ)の著者、焦元溥さんとポゴレリチの東京公演を聴きました。

 東京公演の前におこなわれた北京公演の「京華時報」の評を翻訳したので、掲載しておきます。




【ピアノの弦を切った大胆不敵なポゴレリチの自制心】

 前半のプログラム、リスト《ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲~》とシューマン《幻想曲》は、聴衆にとって難解だったかもしれない。とくにリストの増4度の不協和音、調を逸脱した半音の和音の連続が、旋律を“聴き難く”させ、多くの人の眠気を誘ったのではないだろうか。

 ポゴレリチのリスト《ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲~》は、全体として素晴らしかった。それぞれのフレーズの構想の違いをはっきりと聴き取りながら強いエネルギーを感じた。これは、鑑賞能力のある聴衆を惹きつけたと思う。若い演奏家には絶対に不可能な演奏だ。ポゴレリチのこの曲の演奏は厳粛で冷酷だった。おそらく彼にはこの曲に対する自身の哲学と宇宙観があり、奇をてらった解釈をしようとは思っていなかったはずだ。

 シューマン《幻想曲》は、きわめて遅い速度で始まり、故意に狂気じみたフレーズを封印しているように感じられた。楽譜の指示通りではなく、和声をダイレクトに衝突させ、暗い道へと突き進んでいるようだった。これは予想外の展開だった。《ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲~》と比べて、様々な細かい部分で考えさせられることが多かった。彼はこの作品で、ロマンティシズムにあふれる恋人への想いを情熱的に描こうとはせず、鋭さを隠して、自身の心に忠実に演奏しているように感じられた。多くのフレーズで、弱拍の和声をあえて弱く弾いていたと思う。

 《ペトルーシュカ》については、語るべき言葉が見つからない。ポゴレリチの演奏は常軌を逸し、楽曲の構成感は見えず、断片的な印象を受けた。しかし、やはり素晴らしかった。この曲の最後で、妙な音が聴こえた。スタインウェイの弦が切れたのだ。聴衆はみな立ち上がって写真を撮った。まさに拍手をしようと思っていたときだったので、残念だった。それほど、私は演奏に心を奪われていたのだ。
 弦が切れた原因は、前半のプログラムから《ペトルーシュカ》に至るまで、強音を弾く部分が中音域に集中していたため、量が質を変化させたのではないかと思う。もうひとつの原因は、ポゴレリチの全身の力を使った重力奏法が、指先に集中して爆発した瞬間、ピアノの弦にそれが伝わって大きな負担をかけたのかもしれない。

 この夜、私を最も興奮させたのは4曲目のブラームス《パガニーニの主題による変奏曲》だった。すでにポゴレリチは疲れ果て、もう弾けないのではないかと思ったのだが、最初のフレーズを聴いた瞬間に衝撃を受けた。これは、私がこれまでに聴いたこの曲のライヴ演奏の中で最も優れた演奏だったとあえて言いたい。すべての変奏を、彼は基本的に軽いタッチで弾き、私は会心の笑みを浮かべた。——ポゴレチは悪い奴だ、この曲を弾いた先達たちを後悔させるだろう。彼はそれぞれの変奏の音色を巧みにコントロールし、滑らかなタッチで、ひとつひとつのフレーズ、ひとつひとつの変奏が終わらずに次につながっていくよう考え、楽曲全体に統一感を与えていた。各変奏が強い推進力によってクライマックスに導かれ、それぞれの違いの妙を見事に表現していたのだ。華やかな技巧をひけらかすことが目的ではない《パガニーニの主題による変奏曲》を、私は初めて聴いた。私が聴き取ったのは、亡くなった妻への感傷ではなかった。彼は思いのままに自身の心情をぶちまけていたような気がする。

 前半と後半を通して彼の表現を考えると、リストは死神との厳粛で冷酷な対話、シューマンは自身との戦い、後半の《ペトルーシュカ》では何かを嘲笑い、最後のブラームスでは生命の終わりに向かって突き進んでいるような感覚にとらわれた。

 CDのジャケットの若々しいポゴレリチは少しずつ歳を重ねたが、私は何年か後の彼、10年、20年後の彼がどのように進化しているかが楽しみだ。彼が再び道を踏み外す心配はないし、凡庸なピアニストよりはるかに素晴らしいはずだ。実は彼はとても保守的なのだ。私はポゴレリチの今後の録音と演奏に期待し続けるだろう。最後に一言述べるならば、自由奔放であることを愛する人は、それを自制しなければならないことを知っている。(「京華時報」馮鼎)




 私自身はポゴレリチの演奏はちょっと苦手で、数年前に聴いたときに体調が悪くなって以来敬遠していたのですが、今回はおもしろく聴きました。この評は、なかなか的を射ていると思います。
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新しい年を迎えて

   
 日々のあれこれをFacebookに載せるだけで、Blogはすっかり放置していました。今年は、Blogからの発信も頑張りたいと思います

 昨年6月に出版した訳書『ピアニストが語る!~現代の世界的ピアニストたちとの対話~』(『遊藝黒白』焦元溥著の日本語版)、おかげさまで多くの方に読んでいただき、「おもしろい!」と言っていただくことができました。

 原著のインタビュー集『遊藝黒白』、本当におもしろいのです。何故こんなにおもしろいのだろう? と思うのですが…、まず、著者に確固とした音楽観があり、クラシック音楽の歴史、作曲家や作品に対する旺盛な探究心があるからなのだと思います。また、ピアニズムの系譜を辿る独特の視点があります。これが、クラシック音楽を愛し、ピアノを愛する人たちの興味に合致し、まさに知りたかったこと、思っていたことを彼がピアニストから聞き出していて、おもしろく感じるのではないでしょうか。今回は原著の4分の1ほどの内容、14人のピアニストのインタビューしかご紹介できませんでしたが、「全体を読んだときに何かが見えてくる」と言ってくださった読者の方がいました。私も本当にそう思います。おもしろい! この本を日本のクラシック音楽ファン、ピアノを学ぶ方たちに紹介したい! その一心で翻訳し、出版に漕ぎ着けることができました。出版社には、心から感謝しています。

 残りの4分の3の内容も、1日も早く読者の方たちに読んでいただきたいと頑張っています。読めば読むほどおもしろく、実に様々な示唆に富み、私は多くのことを学びました。

 続刊の原稿はすでに編集作業に回っています。どんなピアニストのインタビューが入っているか、ご興味のある方もいらっしゃるかと思うので、お知らせしますね。

クリスチャン・ツィメルマン (Krystian Zimerman)
ジェルジ・シャーンドル (György Sándor)
タマーシュ・ヴァーシャーリ (Tamás Vásáry)

ウラディーミル・アシュケナージ (Vladimir Ashkenazy)
ベラ・ダヴィドヴィチ (Bella Davidvich)
リーリャ・ジルベルシュタイン (Lilya Zilberstein)
エフゲニー・キーシン (Evgeny Kissin)

ロジェ・ブトリ (Roger Boutry)
テオドール・パラスキヴェスコ (Théodore Paraskivesko)
ジャック・ルヴィエ (Jaques Rouvier)
ジャン=フィリップ・コラール (Jean-Philippe Collard)
ミシェル・ベロフ (Michel Béroff)
パスカル・ロジェ (Pascal Rogé)
ラベック姉妹 (Katia & Marielle Labéque)

 2冊目の中心は、このBlogで抄訳をご紹介して反響を呼んだツィメルマンのインタビューですが、ハンガリーの2人のピアニストが旧ソ連傘下の東欧圏で苦労して学んだことや作曲家たちとのエピソードも興味深く…、旧ソ連でユダヤ人差別の迫害を受けながら真摯に学び、亡命して自身の芸術を追求し続けているロシア人ピアニストたち、フレンチ・ピアニズムの変革期を体現するようなフランス人ピアニストの様々な証言…、おもしろいです! 作曲家や作品について、深く掘り下げた考察も豊富です。ご期待ください!

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 この写真は、昨年9月に長年親しくしているピアニスト、シプリアン・カツァリスのリサイタルを聴くために台北に行ったときに、著者の焦元溥さんと彼のお母様と撮ったものです。お母様、私より少し歳上ですが、知的でチャーミングな方でした。

 あ、カツァリス氏との写真もアップしておきますね (カツァリス氏の追っかけ仲間の妹たちと
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 とにかく、今年も頑張ります!
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「ピアニストが語る!」に寄せられた感想

   
 今年も半分が終わって7月に入るなんて、何だか信じられない私です 7月といえば、このブログを始めたのは、たしか5年前の7月。というわけで、ブログを始めたときのテンプレートに戻してみました。何だか落ち着きますね。ヒマワリは大好きな花です

 さて、この2年ほど、本業のライター稼業の傍ら取り組んできた翻訳が「ピアニストが語る!」(アルファベータ)http://www.alphabeta-cj.co.jp/music/music028.htmlという本になって、約1カ月が過ぎました。まだやっと原書の4分の1ほどですが、さまざまな方たちから温かい激励のお言葉、素晴らしいご感想をお寄せいただきました。ここに少しご紹介させていただきます。

 まず、私が尊敬してやまないピアニスト・文筆家の青柳いづみこさんが公式FaceBookhttp://ondine-i.netに書いてくださったコメントから。




台湾出身の若い音楽ジャーナリストが世界各国のピアニスト55人に対しておこなったインタビュー集で、その上巻が刊行されたばかりである。とりあげられた14名の中にはイーヴォ・ポゴリレチやゲルハルト・オピッツ、レイフ・オヴェ・アンスネスなどよく知られた名前もあるし、ナウム・シュタルクマンのように、むしろピアノ教師として認識されている人もいる。

共通しているのは、インタビュアーが深い音楽的教養とすぐれた批評精神、旺盛な好奇心をもとに、ピアニズムやキャリアなどについて実に核心をつく質問をし、対象から貴重な証言の数々をひきだしていることだ。あたりさわりのない質問と回答に終始することが多いこの手のインタビューではきわめて珍しい。

目玉はなんといってもイーヴォ・ポゴレリチの発言だろう。彼は1980年ショパンコンクールで斬新な解釈による演奏が審査員の拒絶反応を買って第3次予選で落とされ、これに怒ったアルゲリッチが審査員をやめて帰ってしまった・・・という逸話で有名だ。

当の本人によれば、話はずいぶん違うことになっている。まず第一に、1980年の優勝者はコンクールがおこなわれる前にソ連によって「決定」されていたという。モントリオール国際コンクールで優勝してモスクワに戻ったポゴレリチは、モスクワ音楽院のドレンスキー教授に呼ばれ、ショパン・コンクールを受けるのをやめるように「提案」された。彼は、そのかわりに82年のチャイコフスキー国際コンクールの優勝を確約されたが、ポゴレリチはそれを受けなかった。

ポゴレリチによれば、彼は第2次予選にすらすすめないはずだったという。公表用リストが発表されとき、カナダの審査員が先にリストを見た。その年にモントリオールで優勝したポゴレリチの名前がないことに不信の念をいだいたその審査員が事務局に抗議を申し入れ、名前が復活したのだという。

しかし、結局ポゴレリチは第3次予選でふるい落とされることになる。

「私がファイナルに残ることを妨げたのは私の音楽的な解釈ではなく、審査員同士の政治的な要因によるものでした。ドレンスキーは私に零点をつけ(満点は25点)、そのほかのソ連の支配下にある共産主義国家の審査員も零点か1点しかつけず、西側の審査員はそうではありませんでした」

我が師安川加壽子先生がこのとき審査員をなさっていて、先生の書類ファイルには、全審査員の採点票もはいっていた。民族性を重視するこのコンクールでは、ポロネーズやマズルカのような作品と、一般的な作品を分けて採点するようになっているらしい。審査票を見た記憶では、ポゴレリチのマズルカは、零点こそなかったが、最高点は24点から最低点は1点までばらついており、演奏しているのだからいくらなんでも1点はないだろうと思ったことを思い出す。

結果しとてポゴレリチはファイナルに進めなかったが、実は憤慨して審査員を降りてしまったアルゲリッチより安川先生のほうが彼のマズルカに高い評価を与えているのである。

1980年に優勝したダン・タイ・ソンのインタビューは、まだ刊行されていない下巻に収録されている。
「当時の議論について、あなたはどのように考えていますか?」ときかれたダン・タイ・ソンは次のように答える。

「これだけしか言えないのですが・・・、アルゲリッチは、ポゴレリチにあれほど才能があるのにファイナルに残らないのはおかしいと言ったのであって、ポゴレリチが優勝すべきとは言っていないのです。ファイナルはまだはじまっていなくて、誰が優勝するかはわからなかったのですから!」

そのダン・タイ・ソンにしても、当初はポーランドのコンクール事務局から参加を認められていなかったという。現在のように録音や予備予選はなく、書類審査だけだったが、何のキャリアも実績もないダンイ・タイ・ソンにはアピール点がなかった。事務局の誰かが、「モスクワ音楽院で学んでいるのだからある程度の実力はあるだろう」と思い直して参加が許可されたという。

ポーランドの審査員長はソ連のタチアナ・シェバノワを推していたが、優勝したのは無名で後ろ楯もないベトナムのダン・タイ・ソンだった。

いやはや。『ショパン』2011年1月号によれば、前回のコンクールでも同じようなことが起きたというから、ショパンコンクールで優勝したり名をあげたりするためには、一度ふるい落とされている必要があるのかもしれない!




 1980年のショパン・コンクールの審査員の採点についてのポゴレリチの談話が、安川加壽子先生の資料で補完されていて興味深いです。それから、2010年のショパンコンクールの優勝者が書類審査で一度ふるい落とされていたことにも触れていて(これについては、私が評伝を書いたフー・ツォンが関与しているのですが)、青柳さんが現在執筆中のショパン・コンクールをテーマにした本、おもしろい内容になりそうだと期待しています。

 それはともかく、私が尊敬する青柳さんをして「深い音楽的教養とすぐれた批評精神、旺盛な好奇心をもとに、ピアニズムやキャリアなどについて実に核心をつく質問をし、対象から貴重な証言の数々をひきだしている」と言わしめた焦元溥(Yuan-Pu Chiao)、すごいヤツです。このインタビュー集を出したとき、彼はまだ20代の無名の若者だったのです。台湾の最も入るのが難しい大学で国際関係論を学び、さらに米国のフレッチャー・スクールで修士課程を修めた彼は、望めば国家公務員や一流企業で職に就く道もあったのですが、音楽への興味と情熱をおさえることができず、米国留学中にピアニストへのインタビューを始め、この本を出した後に英国のキングス・カレッジで音楽学の博士課程を修了しました。お父様は有名な官僚(政治家)で、妹さんも有名なポップスのシンガーソングライター、恵まれた家庭環境で育ったお坊ちゃん?と思われそうですが、そうとも言えないなと私は感じています。

 たしかに彼は教養の高い恵まれた家庭で育ちましたが、彼の学歴の間には2年間のナショナル・サービスという兵役がありました。台湾の男の子は、これを避けて通ることはできません。「まったく無駄な2年間だった」と彼は言いますが、日本の若者(というか、うちの息子)に比べて彼がしっかりしているのは、それもあるかな?なんて思ってしまいます。いえ、これはけっして最近の日本の集団的自衛権とか、右傾化している政府を認めるものではありませんが、若者が、進学とか就職というものから隔離されて2年間、集団生活を送りながら自分自身を見つめるというのは、もしかしたらよい面もあるのかもしれないなんて思ってしまうのです。

 無駄な2年間があっても、彼はまだ30代半ば。原書「遊藝黑白」上下2巻をはじめ、8作の著書があり、現在は大学で教えたり、クラシック音楽作品を紹介するラジオ番組のパーソナリティを務めたり、新聞や雑誌のコラム記事を書いたり、市民を対象とする講座の講師を務めたり……、多忙な毎日を送りながら、ピアニストへのインタビューも続けています。

 「ピアニストが語る!」は、3部に分けて、それぞれにインタビューにまつわるエピソードを「後記」という形で彼に書いてもらいましたが、第2部の「後記」に、彼が両親の期待に背いて音楽に関する著述を仕事に選ぶ葛藤が語られていて、そうか~ と、彼への認識をあらたにしました。とにかく、素晴らしい青年です。

 さてさて、次の感想は、音楽ジャーナリストの高坂はる香さんのブログhttp://www.piano-planet.com/?page_id=32です。




一冊の本で、こんなにもたくさん印象にのこる言葉、エピソードが出てくる本はそうなかなかありません。
台湾の音楽ジャーナリスト焦元溥さんが長きにわたって発表してきたインタビュー。森岡葉さんがそれを日本語に訳し、もともとはウェブで公開されていましたが、今回それが本にまとめられました。
ウェブ上で公開されていたときに時々読ませてもらっていましたが、こんなに充実したものを無料で公開してくれるなんて!と思うと同時に、個人のウェブだからこそ載せられるのかと思うくらい、けっこう赤裸々な内容でした。で、それがほとんどそのまま紙に印刷されているという。すごいね!
例えばコンクールについて。先のルービンシュタインコンクールの後、自分がアップした記事について、多くの人があんなことよくハッキリ書いたね!と言いましたが、あんなもの足元にも及ばないほど、裏事情について、ハッキリと事例が挙げられています。多くの人が気を使って暴露しないことが、堂々と書いてある。…まあ、ああいう話は演奏家本人が語るから真実味があり、同時に力を持たなくなくなるというところも、あるけどね…。
そして、特に充実しているのはロシアやドイツの楽派についてのお話。インタビュアーの豊かな知識と人柄によって、ピアニストが次々いろんなことを語り、教えてくれます。それぞれが独自の意見を語る中で、ひとつの事象に対しての見解が180度違ったりする。そこがまたおもしろく、だからこそこんなにそれぞれの演奏家の音楽って違うのだなと実感しますね。
一部のインタビューは10年以上前にとられたもので、今話を聞けば全く違うことになっているのかもしれません。すでに亡くなられたピアニストの貴重なお話もあり。ひとつひとつの“本音”が、本当に“本音”なのかを疑いながら読んだりするのも、おもしろい。とにかく興味深い一冊です。
インタビューはまだたくさんのストックがあるらしく、この第一弾が好評なら続きが出版されるとのこと。続編に期待!




 そして、長年の友人で、アマチュア・ピアニスト、JKartsの木下淳さんは、FaceBookにこのように書いてくださいました。




音楽ジャーナリストの森岡葉さんとは、数えてみたらもう12年の知り合いになりますが、このたび彼女お得意の中国語を生かして「ピアニストが語る!」という本を翻訳出版なさいました。台湾の焦 元溥(チャオ・ユアンプー)氏が世界的なピアニスト55名に対してインタビューし、2007年に現地で出版した本に焦氏自身が加筆したものから、まずは14人分を抜き出したものです。
 昨日から読み始め、まだ3人分しか読み終えていませんが、これはピアノを勉強している人ならばプロ・アマ問わず、ともかく一読すべき本だと思います。
 一読してピアニストたちが非常に率直に、言い方を変えれば本音でインタビュアーたる焦氏に応えていることがわかります。おそらくは焦氏は事前にピアニストに対して質問内容を連絡していたものと想像しますが、それを読んだピアニストたちが、焦氏がよく勉強していることを察知し「この人に対してならば本音トークができる」と判断したからだと思います。社交辞令的でない、時として過激な表現で、時として誰も知らないような裏話を交えながら、自分の生い立ち、ピアノ勉強歴とその歴史的背景(自分が属する楽派など)、現代のコンクール・コンサート事情を語る様は大変エキサイティングで、様々な発見があります。
 一例を挙げるとポゴレリッチによると「とくにひとつの長いペダリングの指示があるとき、その意味は『ひとつの連続したペダリング』ではなく、『そのペダル記号中、演奏者はペダルを使うことを許され、各種のペダリングを使ってよい』」とのこと。これは彼女がこの翻訳をブログに載せていたときから気になっている話なのですが、私は彼の発言で初めて知りました。これに類する話がいろいろと出てきます。
 原著が大作ゆえ、まずは14名を収録した「第一巻」(本にはそう記載されていない)が発売されたわけですが、売れ行きがよければ続刊が可能になるとのこと。私はこの内容なら続刊どころか、最終巻まで読まねば満足できそうにありません。今回は日本で知名度が低いピアニストも含まれていますが、このあと大物が控えているのです。なので一人でも多くの方々に読んでいただきたいと思います。
http://www.amazon.co.jp/ピアニスト・・・/dp/4871985849/ref=sr_1_1・・・

また出版元のアルファベータ社HP上で、著者本人からの言葉と、内容の一部をご覧いただけます。
http://www.alphabeta-cj.co.jp/music/music028.html

最後に、これは知人だから申し上げるわけではないのですが、翻訳が非常に読みやすいと思います。二ヶ月ほど前にご紹介したピアニスト紹介本(原著はフランス語)とは雲泥の差。ご本人も訳出には苦労したとおっしゃっていますが、それが十分報われていると思います。




 本当にありがたいお言葉です。実は私自身、翻訳がこれほど難しく、奥深い世界だとは思ってもいなかったのです。いちおうフリー・ライターとして仕事をしてきた経験を生かして、なるべく読みやすい日本語にしたいと苦心しましたが、やはり微妙なニュアンス、日本語らしい表現というところで、悩むことがたくさんありました。今、自分で読み返しても、こうすればよかったかなと思うところがたくさんあります。これは仕方ないことですが、「読みやすい」と言っていただけることが、翻訳者としては何よりうれしいです。

 そして、今日発見した工藤庸介さんのブログhttp://dsch1975.blog75.fc2.com/blog-entry-617.html。ショスタコーヴィチを研究している方のようですが、パワフルな書評、とってもありがたく拝見し、よし! 続刊に向けて頑張るぞと決意をあらたにしました。




最近読んだ音楽書の中では、抜群に刺激的で面白い一冊であった。少しでも関心を持たれたならば、迷わず手に取って読まれることをお勧めする。冒頭のポゴレリッチの章がとりわけ凄まじいこともあり、間違いなく最後まで一気に読破されてしまうに違いない。

訳者のブログには何度かアクセスしたこともあり、特にクライネフのインタビュー(本書にも収録されている)の中でショスタコーヴィチ作品に対する言及があることは知っていたので、他にもショスタコーヴィチ絡みの情報を期待して読み始めたのだが、その点では期待外れだったものの、それを補って余りある素晴らしい内容である。

amazonなどの宣伝文によると、本書は「14人の世界的なピアニストへの 長時間にわたる、徹底したインタビュー」である。14人の全てがピアノ演奏史に名を遺すであろう傑出した奏者であることに疑いはないが、必ずしも“有名”ピアニストではないのが興味深い。それが著者の嗜好によるものなのか、著者の出身地である台湾での知名度によるものなのかは判然としないが、インタビューの構成が基本的に一貫していることで、まるで著者の関心事が14人の証言者によって論じられているかのようにも感じられる。それでいて、各人の性格のみならず音楽的な個性までがありありと描き出されているのも見事だ。演奏家のインタビュー集としては、最高峰と言ってよい。

著者の関心事とは、まずはそれぞれの演奏家の背景にあるピアノ楽派の特徴であり、そこからどのように各人の音楽が形成され、現在、ピアノあるいは音楽とどのように向き合っているか、ということだ。もちろん技術面の深い話題もあるので、ピアノを一定の水準以上で弾く読者にとって本書から得られる物は計りしれないに違いないが、幅広い教養を基に音楽文化について熱く語る音楽家達の言葉は、楽器の種類や弾く弾かないを問わず、音楽を愛好し音楽に強く関心を寄せる者にとって天啓のようですらある。

原書では55人のピアニストが取り上げられているとのことで、その中から“わずか”14人を抽出したこともあって、本書ではロシア系の演奏家が中心で、現代に至るロシア・ピアノ楽派については深く掘り下げられているが、それ以外の奏者に関してはそれぞれの流儀に対する多角的な言及がやや希薄なのが、本書で唯一不満なところだろうか。もっとも、本書の売り上げ次第で残る41+α人のインタビューも出版される可能性があるということで、そうなればこの不満は即座に解消されるはずだ。是非とも本書が目覚ましい売り上げを達成することを期待したい。

それにしても、どの演奏家もピアノ音楽の範疇に留まらない深く広範な見識を有していることに圧倒される。真の一流とは勤勉かつ猛烈な勉強家なのだと、改めて思い知らされた。




 さぁ、今年の後半も遊びつつ、仕事も翻訳も頑張ります!


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『ピアニストが語る!』~グウィニス・チェン~

   
 焦元溥さんの『遊藝黑白』の邦訳版「ピアニストが語る」(アルファベータ社刊)、発売から1週間ほど経ちました。読者の皆様から素敵な感想が届き、続刊の発行に向けて頑張ろう! と思っています。

 この本で取り上げたピアニストについて、少しずつご紹介したいと思います。今回は、ポゴレリチの愛弟子のグウィニス・チェンについて……。

 またまた我が盟友、転妻よしこ(山田亜葵)さんがインターネットでポゴレリチに関する情報を検索していたときに見つけたグウィニス・チェンについての記事(2005年10月)をご紹介しましょう。

 まったく転妻さんの知性あふれるユーモアのセンスには脱帽するしかありません。

転妻よしこの道楽日記




波の兄のローリー奇

ポゴレリチ(ポゴレリッチ) / 2005年10月14日 19時18分34秒

ポゴレリチの名前は、中国語では『波哥雷利奇』と書く。
これは私が、中国語系のサイトを見ていて学んだことだ。
そして、この名前で検索をすると、
中国語圏の記事その他が多数ヒットすることを、
私は、ごく最近、発見した。
彼は、中国や台湾などでも、かなり知名度の高い演奏家で、
相当数の記録が中国語圏にはあったのだ。

しかし、巧いことヒットしたからといって、
記事内容がすぐ読めるという訳ではないのだった。
なにしろテキは中国語なのだ。しかも簡体字・繁体字の別がある。
私は、波哥雷利奇さんのために、
昨今は、自動翻訳サイトのお世話になりっぱなしだ。

きょう巡り会った台湾の新聞記事には、
いきなり、中華民國93年4月16日星期五とあった。
いつのものだか全然わからない(^_^;)。
1953年生まれのテレサ・テンが民国42年生まれと言っていたが、
要するに11足せば西暦になるのかしら???

で、内容が何だったかというと。
毎度お馴染みの自動翻訳に頼ってみたところ、
『波の兄のローリー奇が妻を失った後に崩壊に瀕する
陳毓と襄は恩師が忘れないで気持ちを抜擢することを話し出す』

「波の兄のローリー奇」というのは、驚くなかれ、人名だ。
自動翻訳で「波哥雷利奇」を日本語に訳すと、こうなる。
つまりこれは、「ポゴレリチ」のことなのだ。

『10年前にピアニストの波の兄のローリー奇を得てその名の主催した第1期のピアノ大会で初めて表彰して、賞金は10万ドルに達するが、しかし陳毓と襄にとって、波の兄のローリー奇夫人の愛麗の糸の習琴ことができると、「私が最大の贈り物を得ることがだ。」』

驚くなかれパート2。私は、この↑日本語の意味がわかる。
理解可能な日本文に書き下す(?)と、こうなる。
『十年前、ピアニスト・ポゴレリチの名を冠した、第一回のピアノコンクールで、グウィニス・チェンは初めて入賞し、その賞金は10万ドルにも上るものだったが、彼女にとっては、ポゴレリチ夫人のアリスにピアノを習ったことが、『私の貰った最大の贈り物だった』と言う』

そうなのだ。
この記事はどうやら、台湾出身の米国在住ピアニストである、
グウィニス・チェンが語る、ポゴレリチについての話なのだ。
ちなみに「陳毓と襄」が「グウィニス・チェン」だ。
というか、そうとしか思われないので、そういうことにする。

彼女によれば、コンクール後、ロンドンのポゴレリチ邸に、
彼女は二週間滞在し、夫人のアリス・ケジュラッゼから指導を受け、
まるでポゴレリチ夫妻の子供のように愛情あふれる待遇で、
素晴らしい毎日を過ごさせて貰った、ということだ。
自身の母親と言っても良いほどの年齢の妻を、ポゴレリチは本当に愛していたのだろうか、
と言う人も世間にはいるが、チェン嬢の見た夫妻は実に仲睦まじく、
互いに深く愛し合っていることが伝わってきた、とのことだ。
夫妻は毎日ピアノを弾き、アフタヌーン・ティーを楽しみ、
音楽のことを語り合い、またピアノを弾いて、
この世に音楽しかないかのような日々を過ごしていたという。

記事は、96年にケジュラッゼ女史が亡くなったことについて、
『波の兄のローリー奇はほとんど崩壊して、現在避けてスイスに位置する』
と述べている。
女史の死後、ポゴレリチはやはりほとんど茫然自失であり、
この記事の2004年初頭には、スイスに引き籠もっていたようだ。

しかし、それにしても、チェン嬢が香港で
ポゴレリチと会ったときの話というのが、凄い。

『彼は自分を率直に言ってと気分が悪くて、とても気分が悪くて、暑い日の10月、雪の帽子の宇宙の衣服を身につけていると言う。』

え。ど、どんなナリをしてましたって…………!?




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 グウィニス・チェンは第1回ポゴレリチ国際ソロ・ピアノ・コンクールで優勝し、その後、ポゴレリチ夫妻陶を受けてすばらしいピアニストに成長していますが、コンクール参加当時は、Edith Chen という名前だったようです (中国系の方たちの英語名についてはよくわかりません自分で考えたり、クリスチャン・ネームを使ったり……? 彼女は仏教徒ですから、クリスチャン・ネームということはないので、ピアニストとして正式にデビューするときにグウィニスという響きのよい名前にしたのかもしれません)。

 このコンクール授賞式の写真、ネット上で見つけたのですが、左からポゴレリチ、そしてケゼラーゼですね。たしかに年齢差のあるご夫婦、しかし、芸術の上で深い信頼関係を築いたすばらしいパートナー同士だったようです。

 はてさて、転妻よしこ(山田亜葵)さんが解読したポゴレリチとグウィニス・チェンの関係、拙訳本と参照していただくとおもしろいと思います。

 転妻さんは、2007年4月にさらにこんな記事も……。
転妻よしこの道楽日記




「まったく零点です!」

ポゴレリチ(ポゴレリッチ) / 2007年04月21日 16時53分27秒

マエストロ・ポゴレリチとグウィニス・チェン嬢の話の続き。

有意思的事情---妳這樣彈,根本是零分!(中國時報)

この記事は2007年2月10日付けで、おそらくは公演前か公演当日に、
ジョイント・リサイタルの紹介のために掲載されたものだと思う。
ここを読むと、チェン嬢とポゴレリチ夫妻の、
出会いの逸話を知ることができる。

チェン嬢は、そもそも、ポゴレリチのファンであったようで、
1993年第1回ポゴレリチ国際コンクールに参加したのも、
彼に会いたい一心だったとのことだ。
それがまさか、最高位と10万ドルを得ることになろうとは。

Gwhyneth Chen receiving Grand Prix at Ivo Pogorelich International Solo Piano Competition, 1993

そして優勝後、チェン嬢はロンドンのポゴレリチ邸に招かれ、
そこで夫妻の、とりわけ夫人のアリス・ケジュラッゼの弟子として、
半月ほど、直接にレッスンを受ける光栄に浴した。

『苛酷で有名な夫妻でに対して自ら訓練教育』。

拷問部屋での二週間だったかのようだが(((( ;゚Д゚)))、
実際のところは、ポゴレリチ邸にはピアノが複数台あって、
それぞれが個室に置いてあったらしい。

『「私達の1人の1つの琴の部屋、毎日午前7時から9時まで訓練します
──午前9時ではありませんて、夜9時です!その上中間は昼食がなくて、
夕食だけあって、1日中すべて訓練しています」』

ヤリ過ぎだ(爆)。
関係ないが、90年代のポゴレリチがとても肥満していたのは、
昼食を抜いたのがアダになり夕食を食い過ぎていたのでは(逃)、
などと私は思った。すみません余計なことでした。

それはともかく、チェン嬢にとって、このときのことは、
今も鮮やかに記憶に残っているそうだ。
優勝の直後ではあったし、とりわけ熱心に練習して、
誉めて貰いたいと思って臨んだ初回レッスンで、

「意外にも私を聞いて弾き終わって、彼女の第ひと言で言うとつまり
──『お姉さん、あなたはこのように弾いて、まったく零点です!』」

そういえばケジュラッゼ女史は、ポゴレリチ18歳時の初対面でも、
その演奏を全否定する感想を直接本人に言って激怒させた、
という逸話があった(それで結局、結婚しちゃったんだから世話ないが)。
そうやって生徒の目を覚まさせ、その情熱に火をつけるのが
教師としての彼女の、腕の見せどころであったのかもしれない。

『「彼らは双方に対して愛して、音楽の信念と演奏に対する紀律、
陰ですべて鋼鉄の意志です。
あのようなは完璧な精神を求めて、
すべての物事まで(へ)続けて使うことができます。」』
『「指の効き目、きわめて重い最後の会成は軽くなりますまで(へ);
音楽の解釈、しみじみととてもところが非情です。
対立は決して解け合ってはいけなくありませんのではなくて、
ことに成功して、激しく揺り動かしだす火花は
すべてを明るくすることができ(ありえ)ます。」』

残念ながら、彼女が何を学んだのか私には定かでなく、
時々出る「へ」も、あまりよろしくないように思うが、とにかく、
彼女の得たものは、技術面での向上だけではなかったことが伺える。

このあと、ケジュラッゼ女史が癌で亡くなり、
ポゴレリチは茫然自失の日々で、何年も演奏から遠ざかったが、
2005年のポゴレリチの台湾公演の折りに、
『陳毓は襄をして久しく顔を合わせていない恩師と再会するだけではなくて、
同じく彼に自分の成長と進歩を見させます』。

進境著しいチェン嬢の演奏はポゴレリチを大いに喜ばせた。
『外な喜びのあまり、波哥雷リッチーは有史以来初めて
むだにコンサートを相当し始めることを決定して愛して、
全世界に彼と妻の最大の音楽の発見を紹介します。』
無駄に大袈裟なのはさておいて(^_^;、
ともあれポゴレリチは、自分の見出したチェン嬢とともに
ジョイント・リサイタルを開くことにした。

『波哥雷リッチーはどのように彼の沈殿物の後の収穫が現れますか?
陳毓は襄をして恩を受ける師の学習の成果を継ぐことができますか?
今回、全世界はすべて期待しています』

世界の中心で師弟愛を叫ぶような文章だが(^_^;、つまり、
夫人亡き後のポゴレリチがどのような演奏をするかということと、
ポゴレリチの一番弟子であるチェン嬢が、今後、
彼の芸術を直接に受け継ぐピアニストとしていかに羽ばたくかが、
今、大いに注目されている、ということのようだ。




Signing after the joint concert

 「まったく零点です!」のくだりは、拙訳本でグゥイニス・チェン自身が詳しく語っています。そして拷問部屋で鍛えられた彼女は、本当にすばらしいピアニストなのだということを最近、You Tube で知りました。



 前半がバッハ、後半はリストの《超絶技巧練習曲》というプログラムを、すべての音を完璧にコントロールした明晰なピアニズムで聴かせています。

 好き嫌いは別として、ここまでテクニックを磨き上げ、真摯に楽曲に向き合っているピアニストが、今日どれだけいるでしょうか? 数日前にこの録画を見てから、何度も繰り返し見ています。

 ポゴレリチ、ケゼラーゼ夫妻のピアニズムが、彼女の演奏の中にたしかに息づいていると感じました。機会があれば、ぜひライヴで聴いてみたいと思います。ポゴレリチが長年恋していると語っているバルトークの《二台のピアノと打楽器のためのソナタ》を彼女と弾いてくれたらいいななんて思います。

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serendipity ~『遊藝黑白』との出会い ~

   
 『遊藝黑白』の邦訳版『ピアニストが語る!』(アルファベータ)http://www.alphabeta-cj.co.jp/music/music028.htmlが発売されました。アマゾンなどでの売れ行きも好調で、本当にありがたく、ちょっとホッとしています。

 この本との出会いは、私にとってまさにセレンディピティ。10年ほど前に上海のCDショップで偶然言葉を交わして知り合って以来、ずっと親しく情報交換している中国の若い音楽評論家、李厳歓(Li Yan-Huan)が、「このピアニストのインタビュー集、すごくおもしろいから読んでみて」と私に『遊藝黑白』をプレゼントしてくれたのは、5年前の夏でした。でも、そのときの私は、台湾の音楽ジャーナリストの本? 大したことないんじゃないかなぁ、そのうちヒマなときに読もうとそのまま書棚に入れてしまいました。日本はアジアの中ではクラシック音楽の先進国、というか今や世界中のどこよりも多くの著名演奏家、著名オーケストラのコンサートが毎日開催されている国です。音楽雑誌や刊行物も多く、ありとあらゆるクラシック音楽の情報が手に入ります。その国で暮らす私が、どうして台湾の若い音楽ジャーナリストの本など読む必要があるのか、という奢った気持ちがあったのかもしれません。

 話は変って、私が中国の伝説的なピアニスト、フー・ツォンの評伝を、あれこれ苦しみながら書いていた頃、やはりフー・ツォンに長年興味を持っているおもしろい人物がいることをネット上で情報検索しているときに知りました。その方こそ、イーヴォ・ポゴレリチのファン・サイトを運営している転妻よしこ(山田亜葵)さんです。彼女は、ポゴレリチをはじめ強烈な個性のピアニストやアーティストに惹かれるタイプの芸術愛好家で、ポゴレリチの素晴らしいファン・サイトを運営し、機智に富んだユニークなブログの中で、度々フー・ツォンの音楽の魅力についても語っていらっしゃいました。いずれはフー・ツォンのファン・サイトも立ち上げたいと、かなり情報収集もしていらして、私も本の執筆にあたって参考にさせていただいたので、サイトのメールアドレスからご挨拶し、親しくお付き合いするようになりました。転妻よしこ(山田亜葵)さんのご協力と励ましに助けられて、拙著『望郷のマズルカ~激動の中国現代史を生きたフー・ツォン~』が完成したと言っても過言ではありません。

 その転妻よしこ(山田亜葵)さんが、『遊藝黑白』に収録されたポゴレリチのインタビューに興味を持って、自動翻訳を使って必死に解読していたのは2007年の8月。『遊藝黑白』が出版された直後のことです。インターネット上に公開されたインタビューの一部をいち早く発見し、ブログ『転妻よしこの道楽日記』にこのような記事をお書きになりました。http://blog.goo.ne.jp/rc1981rc/e/aa9c57cfc80695f29b1b5ec1559b6451

 全文をご紹介しますね。とにかく、日本で『遊藝黑白』を最初に話題にしたのは、このブログでした。




富婆になりたい

ポゴレリチ(ポゴレリッチ) / 2007年08月25日 10時40分22秒

ネットサーフィンしていて、『歐洲鋼琴家──波哥雷里奇 訪問節録』
という、ポゴレリチに関する中国語の記事を見つけた。
繁体字ということは台湾の記事だろうと思われた。

中身は、インタビューの概要のようだった。
全文はこれを収録した書籍が別に販売されているらしかった。
例によって自動翻訳の機械で読んでみたのだが。

『私は、若い有名になる利益、私の私を使うことができる評判にあるのは芸術の貢献で、わずかにこれだけですと言うことしかできません』

と、何を言うことしかできないのか完全に不明な出だしだった。
つづく段落で、アメリカなどでは芸術そのものは軽視され、
容姿やスキャンダルばかり取り沙汰されそれで芸術家が売れる、
という意味の批判をポゴレリチが展開しているので、
この箇所ではその逆のこと、つまり、
「自分の価値は、自分にできる芸術的貢献のみに、ある」
ということが言いたいのだろうと、私は脳内修正した。

このあと、ポゴレリチが自分の話の例として、
バイロン・ジャニスやヴァン・クライバーンなどの名を出すのだが、
これが中国語でなんらかの漢字を与えられているものだから、
自動翻訳にかかると、バイロン・ジャニスは「かたいニース」、
ヴァン・クライバーンは「範・クレイ本」になってしまっていた。
そういえば以前、ありましたよね、
中国語のアジアカップ公式サイトに掲載されたサッカー選手の名前が
自動翻訳のせいで大笑いになってしまった話が。

『レコード会社はまだかたいニースが範・クレイ本のすでに記録したことがあるプログラムリストを記録することを望みません』

そんな意味不明なものは私も望まないが、
前後の文脈も含めてまたまた脳内修正すると、どうやら、
「バイロン・ジャニスは優れた演奏家であったのに、
レコード会社は米国のアイドルのヴァン・クライバーンのほうを
ずっと大切に考えていたので、彼が録音した曲と同じ曲目は、
バイロン・ジャニスにはレコーディングさせないようにした」
みたいなことではないかと思われた。

そして、その次の部分には、個人的に、かなりウケた。
『チャイコフスキーはかつて彼の書簡の中で言及して、1つの米国の女性のピアニストはワイマールとリストまで(へ)何の授業に行って、米国に帰った後にリストの看板に命中して学生を教えにきて、富婆になります。』

米国のある女性ピアニストが、ワイマールのリストのところへ
ナニを習いに行って(?)、アメリカに帰ってからは『リスト直伝だ』と
ふれまわって学生にそれを教え、大もうけして富婆になった、という。
凄く、イイ響きというか、イイ字面じゃありませんか、『富婆』って。

ポゴレリチの引用によると、リスト本人はそんなに稼いでいない、
ということで、つまるところ、この抜け目ない女性はリストの名を利用し、
自分だけ大金持ちになったらしい。
リスト本人は富爺には、なれなかったのだな。

なお、これの後半は、自動翻訳ながら、かなり興味深いことが
ポゴレリチ本人によって語られている。
彼の宗教的なルーツ、ユーゴ時代の彼の生家が裕福であったこと、
彼の祖父の生き方について、等々、
日本では活字になっていない内容が出ていて、面白かった。
これについては、のちほど、改めてご紹介したいと思います。




『私は、若い有名になる利益、私の私を使うことができる評判にあるのは芸術の貢献で、わずかにこれだけですと言うことしかできません』

 このフレーズは、『ピアニストが語る!』の帯に使った『若くして有名になることの利点は名声を芸術への貢献に使うことができることにあり、それに尽きるということです。人生は闘いばかりで、私は永遠に自分の芸術のために奮戦しています』の一部です。

 「富婆」のくだりが、私が翻訳した『ピアニストが語る!』の中でどのようになっているか、ご参照いただけるとおもしろいと思います。さすが、転妻よしこ(山田亜葵)さん、内容の意味はほとんど解読していらっしゃいました。

 さらに翌日のブログでは、続編としてこのような記事をお書きになりました。





富爺一家

ポゴレリチ(ポゴレリッチ) / 2007年08月26日 09時22分43秒

昨日のポゴレリチの話のつづき。

インタビュアーからチャリティ公演などの慈善活動について
尋ねられたポゴレリチは、自分の生育歴にその源があると語っている。

「私達の家はとても深い宗教の伝統があります。私の父はキリストの弟子で、母は東正の信徒で、だから私達の観念の中で、慈善を好むのはとても重要な美徳です。」

ポゴレリチの父親はクロアチア人だから恐らくカトリック教徒、
母親のほうはセルビア人なのでセルビア正教徒だった、
ということだろうと思われる。
宗派は違っても、ご両親ともに敬虔な信者でいらしたのだろう。

「私の若い時私がとても幸運なことを知っています――私は良い先生に出会うことができて、私の日の組は重視することができて、私も助けられて、そのため私は更に返報するべきです。私の演奏の中から返報して、その他の方式でまだ返報することができなければなりません。」

ポゴレリチは、教師との出会いや自分の受けた教育が
素晴らしいものであり、自分は幸運だったと述べている。
そうやって自分が育てられ今日があることに感謝し、
自分にできる「演奏」という行為をもって
自分の受けた恩に報い、世に貢献したい、ということのようだ。

「私は永遠に私が1981年にメキシコの震災の所運営のコンサートなことを忘れることはできません。たくさんの子供はそのため両親を失って、私のコンサートは良い金を募って彼らのためにおもちゃと楽器を買うことができて、彼らの教育と慰めに。4分の1つの世紀の過去、私は台湾が障害を聞くためにと障害の児童の開催した慈善のコンサート後で、いくつか子供は舞台の上で私にまで(へ)泰迪熊とおもちゃの犬を持ちました――それでは一瞬の間、私はまるで当時のメキシコの子供を見て、今贈り物を私に返します。これは私をたいへん感動させます。これは私は舞台の上から所が最大の楽しみを得ることができるのです。」

81年のメキシコ震災被害者のためのチャリティ公演や、
その後の(25年ほど前?)台湾の障害児教育のための演奏会など、
自分の演奏とその収益が他人のために役立ったかもしれないと
思うことのできた経験は、彼にとって幸福なものだったようだ。
『いくつか子供は舞台の上で私にまで泰迪熊とおもちゃの犬を持ちました』
というのが、個人的には愉快な感じがして心惹かれる(^_^;。

「私の家庭は共産党が権力を握る前にとても富んで、だからお金は私にとってまったくめったにない事ではありません。私は金銭に対して少しも夢中になりなくて、米国とヨーロッパの消費する主義誘惑あるいは影響をも受けることはありえません。」

ユーゴで共産党体制が完成する以前、
ポゴレリチ家はかなり裕福であったようだ。
幼い頃から本格的に英語を学び、単なる教養としてピアノを習った、
というユーゴ時代のイーヴォ少年の境遇からも、
それは想像することができる気がする。

ただ、だからと言って、ポゴレリチが無欲で金銭に無頓着である、
とは、ファンとしての私には思われない。
彼の儲け方は、それなりにしたたかであると感じるからだ。
不完全な翻訳からは真意は読み取れないが、ここで彼が言いたいのは、
『自分はいくらでも稼ぐことができるが、
富むことがどういうことか、幼い頃から知っているので、
自分を見失うことはない。私は金の使い方を知っている』
みたいなことではないのかな、と想像するのだが・・・・。

「私の母方の祖父は共産党の手の政治の後で仕事権力を剥奪されて、彼にとってこの根本は彼の死刑を判定するのです。しかしあなたは彼がそれから何をすることを知っていますか?彼は道路清掃夫になって、しかしたいへん道路清掃夫になる尊厳があります。」「彼は以前はそんなに富んで、しかし彼は同様に道路清掃夫になることができて、その上とても光栄にこの仕事をします。」

ポゴレリチは以前もインタビューの中で、
自分の祖父に言及していたことがあったが、
どうやらこの人は、共産党体制の中で何か批判されることがあって、
それまでの裕福な境遇から一転して、道路清掃夫になったようだ。
しかし彼は名誉と尊厳をもってこの仕事に従事したようで、
そのこともまた、若かったポゴレリチに大切な教訓を与えたようだ。

******************

残念ながら、ネットでは抜粋となっていて、
ここまでしか読むことができないのだが、
今まで知らなかったことが語られている、
なかなか興味深いインタビューだったと思っている。
できれば全文が掲載されている書籍のほうを手に入れたいが、
繁体字中国語の本など持っていても何かのタシになるのか、
いや何より、無事に取り寄せることができるだろうか、
というのが、当面、かなり、不安な問題だ。




 さて、転妻よしこ(山田亜葵)さんが解読した内容が、私の翻訳ではどのようになっているでしょうか……。

 それはともかく、これらの記事をガハハと笑って読んでいた私は、転妻よしこ(山田亜葵)さんが全文を読むことを切望している本が、わが家の書棚に眠っていることにずっと気づかずにいたのです

 あれ? これはもしかしたら家にある本だ! と気づいたのは、2012年5月、ポゴレリチ来日公演のとき。KAJIMOTOのサイトに、焦元溥さんの台湾での公演評が掲載され、この名前に見覚えがあるぞと本棚から本を取り出して読んでみると、おもしろい! 早速翻訳して、このブログでご紹介したのは皆様もご存知の通りです。

 このときの転妻よしこ(山田亜葵)さんのブログ記事もご紹介しておきましょう。





『遊藝黒白』

ポゴレリチ(ポゴレリッチ) / 2012年05月10日 10時27分50秒

来日公演で盛り上がっている今、森岡 葉さまが、
焦 元溥『遊藝黒白』の中から、ポゴレリチに関する箇所を
日本語に訳して下さいました。
大変読み応えのある内容ですので、是非ご覧頂きたいと思います。

ポゴレリチ来日~台湾の音楽評論家、焦元溥氏のインタビュー~(May Each Day)

ある面では、ポゴレリチという人は非常に論理的な思考に長けていて、
知識も教養もあり、かつ、弁の立つ人だということを改めて感じました。
専門性の高い内容も敢えて収録されており、
ベートーヴェンからリスト、シロティに至る楽派の、彼なりの解釈は、
かつてこれほど突っ込んだかたちで活字にされたことはなかったと思います。

ほか、日本では紹介される機会のなかった、彼の祖父の思い出や、
ケジュラッゼ女史の出自、当時のソ連でのピアノ教育事情など、
当事者でなければ語り得ない話題が多く、貴重な記録となっています。
私が90年代初期から多大な関心を寄せている女流ピアニストの、
エリソ・ヴィルサラーゼの名に言及のあることが、
個人的には大変興味深く、また嬉しく思われました
(道楽と道楽のクロスロード、というか・爆)。

反面、いつものことですがこの時点で語った計画のいくつかは実現せず、
未だにポゴレリチ音楽祭やコンクールの再開も出来ていませんし、
レコーディング計画もどこかで頓挫していると考えざるを得ません。
彼にその意志のあったことが確認できたことは、良かったと思いますが、
……好意的に見れば、彼のこうした計画の数々は、
現在もなお進行中、ということなのでしょう(逃)。

そのほか、彼らしく大胆なことをいろいろと語っていますが、
ショパン・コンクールでの『事件』に関しても、
最初の夫人との結婚のいきさつについても、
少なくともポゴレリチ側の理解は、このようになっているらしいです(^_^;。
言うかそれ普通、とツッコみたい箇所が、いろいろと(逃逃)。

ともあれ、取り急ぎ、御案内までに。





『遊藝黒白』2

ポゴレリチ(ポゴレリッチ) / 2012年05月11日 10時53分10秒

昨日ご紹介した『遊藝黒白』には、実は私は以前から関心があった。
あちこち検索していて、ネットで偶然にこの本の抜粋のページに出会い、
繁体字中国語を機械翻訳にかけて読んだことがあったのだ。
そのとき既に、これは日本では読めないような特異な内容だと感じて、
なんとかして全文、読む方法はないものだろうかと空しく考えたものだった。
当時書いた日記の『富婆になりたい(2007年8月25日)』と
『富爺一家(2007年8月26日)』とは、そのあたりのことを記録したものだ。

だから少し前に、森岡 葉さまが、
「『遊藝黒白』を紹介したいと思っている」
ということを仰ったときには、私は色めき立った(^_^;。
とうとう、あの宝の山がその全貌を現すときが来たか!と。
著者の焦 元溥(Yuan Pu Chiao)氏は、KAJIMOTOのブログの、
●ポゴレリッチは台湾に上陸中!まもなく日本へ(2012.4.28)
の記事に出ている、台湾公演の評を書かれた方でもあって、
森岡様が、彼の名と、更には『遊藝黒白』の話を出されたのも、
私との間では、KAJIMOTOのブログがきっかけだった。
なんだか、私にとってはこの流れには、
すべてに時期が来てピッタリとハマったような喜びがあった(^_^;。
森岡様、本当に本当に、ありがとうございました!!

そして結果は、期待通り、いや、期待を遙かに上回るものだった。
ポゴレリチ来日~台湾の音楽評論家、焦元溥氏のインタビュー~(May Each Day)
をお読みになった方々であれば、先刻ご承知の通りだ。
ここでのポゴレリチは、専門家として面目躍如な語り口を発揮し、
普段なら話したがらないような家族の話題にも積極的に触れ、
更には、通常であればタブーとされる事柄をも、
彼独自の大胆さ(無神経さ・爆)で一刀両断にしていて、
日本の音楽雑誌では全く望めないような内容の話を展開している。

ポゴレリチは頭の切れる人で、理知的だし教養の豊かな男性であると思う。
私はこのインタビューを読んで、彼の魅力を改めて知った思いだ。
しかし同時に、イヤなヤツ(殴)だ、とも思った。
……すみません、ごめんなさい。
私は芸術家としての彼を、真実、全身全霊をあげて尊敬しているし、
彼を超える人は私の中では恐らく今後一生、ひとりも現れないだろう、
と常々思っている。
けれども、私は個人としては、イーヴォとお友達になりたいとは思わない。
以前からそれは重々わかっていたのだが、今回また確信できた(笑)。
まあ、むこうも願い下げだと言うだろうが、
ご近所にいたら、私はできるだけ避けたいタイプの男だ。
かなわんわ……(逃!)。




 もう、転妻よしこ(山田亜葵)さんの知性あふれる抜群のユーモア感覚には脱帽するしかないのですが、とにかく『遊藝黑白』のポゴレリチのインタビューが、日本の皆様の目に触れることとなりました。

 TwitterなどのSNSを通じてたくさんのクラシック音楽ファンの方たちが私のブログにアクセスしてくださり、食べもののことなどくだらないことばかり書いているわけにいかなくなってしまいました(汗)。コメント欄から、この本にはほかにどんなピアニストのインタビューが入っているのですか? とのお問い合わせも多く、55人のピアニストのリストを発表したところ、ほかのピアニストのインタビューも読みたいとのご要望があり、時間のあるときに少しずつ翻訳してご紹介していました。この頃は、これはあくまでも私の趣味で、クラシック音楽ファンの方たちに楽しんでいただければ、何かご参考になれば……、という程度の気持ちでした。コメント欄やSNSから、ご感想や励ましのお言葉をいただき、たくさんの出会いもありました。でも、出版など考えてもいませんでした。

 いろいろあって、出版を目指すことになったのですが、それはなかなか苦難の道のりでした

 でも、皆様のあたたかいご支援のおかげで、何とか出版に漕ぎ着けることができました。本当にたくさんの出会いに導かれて、この邦訳版が誕生したと感じています。まさにセレンディピティ!

 さて、正式に出版しようと考え始めたとき、著者の焦元溥(Yuan-Pu Chiao)さんとどうやって連絡を取ったらよいかというのもひとつのネックでした。いろいろなルートを通じてコンタクトを試みたのですがうまくいかず、最終的にFaceBook上でやっと連絡が取れました。SNS、恐るべしです。でも、見ず知らずの日本人が、あなたの本を翻訳して出版しようと考えていますと言っても、彼は私のことを信頼してくれるのだろうか??? とかなり不安でした。ちょうど、長年親しくしているシプリアン・カツァリス氏の台湾公演があったので、カツァリス氏の追っかけ仲間とコンサートを聴きに行きがてら、とにかく会いましょうと約束を取りつけ……、何とかうまくいくといいなと思っていたら、カツァリス氏が台湾公演の初日の台中で倒れ……、何と私と焦元溥(Yuan-Pu Chiao)が初めて会ったのは台中の病院のカツァリス氏の病室でした カツァリス氏を病院に運んだのは、焦元溥さんだったのです! まったく何ということだという感じですが、ハプニングのおかげで彼とすぐに打ち解けることができました。それ以来、着実に信頼関係を築いて、『ピアニストが語る!』を上梓することができました。この本についてのエピソード、引き続きご紹介していきたいと思います。

 

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